小坪寺。旧小坪学校(鷺浦学舎)地
小坪寺の概要
浄土宗寺院の小坪寺は、轉法輪山と号します。小坪寺は、当地にあった香蔵寺と隣接してあった報身院とを明治42年に香蔵寺・報身院住職行念上人が合併し、小坪寺と称したといいます。明治31年には当寺(旧香蔵寺)に小坪学校(鷺浦学舎)に供用されていました。
山号 | 轉法輪山 |
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院号 | - |
寺号 | 小坪寺 |
住所 | 逗子市小坪5-4-15 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
小坪寺の縁起
小坪寺は、当地にあった香蔵寺と隣接してあった報身院とを明治42年に香蔵寺・報身院住職行念上人が合併し、小坪寺と称したといいます。香蔵寺の創建年代等は不詳ながら、妙蓮社珍譽存公(寛正5年1464年寂)が中興、報身院は信蓮社深譽(文明5年1473年寂)が開山した古寺で、共に鎌倉光明寺の末寺でした。
新編相模国風土記稿による小坪寺の縁起
(小坪村)
香蔵寺
旭照山阿彌陀院と號す(本寺前に同じ:鎌倉光明寺末)本尊阿彌陀(長三尺二寸定朝作)外に地蔵(長三尺運慶作)を安置す、中興を存公と云ふ(妙蓮社珍譽と號す、寛正五年七月一日寂す、)
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報身院
遍照山浄土寺と號す(本寺前に同じ:鎌倉光明寺末)彌陀を本尊とす、開山を深譽と云ふ(信蓮社と號す文明五年七月十五日寂す、)
△觀音堂。十一面觀音を安ず(長四尺弘法作)(新編相模国風土記稿より)
「逗子町誌」による小坪寺の縁起
中里
小坪寺
轉法輪山と號す、明治三十九年火災にて報身院、香蔵寺共に焼失せし時、兩寺共に光明寺末浄土宗而も境内相隣接せしを以て香蔵寺住職行念上人(今鎌倉大佛の住職)兩寺を合併して明治四十二年一宇を香蔵寺跡に造立して小坪寺と稱し自ら中興一世となる(時に報身院は無住にして行念上人兼務せり)然るに大正十二年の震災にて全潰し再建の見込容易ならざるを現住圓我上人百方奔走して光明寺境内一切經の經蔵を貰ひ受けて今の本堂を建つ。(「逗子町誌」より)
小坪寺所蔵の文化財
- 鷺浦学舎跡
鷺浦学舎跡
鷺浦学舎跡
ここは「小坪小学校」発祥の地です。
明治維新の諸改革が進められる中で、明治五年(一八七二)に公布された「学制」に基づいて、小坪でも、それまでの佛乗院(南町)の寺子屋などを廃止・統合して、香蔵寺(現在の小坪寺)に、小学校「鷺浦学舎」が設立されました。明治七年(一八七四)四月のことです。
翌年「小坪学校」と改称し、明治三十一年(一八九八)に現在地に移りました。当時の在籍生徒数は一六九名でした。
小坪寺は、明治四十年(一九〇七)の火災で、隣接する香蔵寺と報身院が焼失したのを機に合併して、明治四十二年(一九〇九)四月、香蔵寺跡に、新たな名称で再建されました。
なお、「鷺浦」は小坪海岸の美称です。(逗子市・自然の回廊プロジェクト掲示より)
小坪寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「逗子町誌」