神武寺。行基菩薩開基、県指定文化財の薬師堂
神武寺の概要
天台宗寺院の神武寺は、医王山来迎院と号します。神武寺の創建年代等は不詳ながら、神亀元年(724)聖武天皇の霊夢によって行基菩薩が十一面観音、釈迦如来、薬師如来の三像を祀り開基したと伝えられ、慈覚大師が天台宗に改めて中興したといいます。源頼朝は妻政子の安産を祈願して建久3年(1192)神馬を奉納、また源実朝も病気平癒の御礼に参詣するなど崇敬を集め、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には薬師堂領として5石の御朱印状を受領していました。三浦薬師如来霊場初番、また神武寺の晩鐘は逗子八景の一です。
山号 | 医王山 |
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院号 | 来迎院 |
寺号 | 神武寺 |
住所 | 逗子市沼間2-1402 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
神武寺の縁起
神武寺の創建年代等は不詳ながら、神亀元年(724)聖武天皇の霊夢によって行基菩薩が十一面観音、釈迦如来、薬師如来の三像を祀り開基したと伝えられ、慈覚大師が天台宗に改めて中興したといいます。源頼朝は妻政子の安産を祈願して建久3年(1192)神馬を奉納、また源実朝も病気平癒の御礼に参詣するなど崇敬を集め、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には薬師堂領として5石の御朱印状を受領していました。
境内掲示による神武寺の縁起
神武寺
全山が凝灰岩から成るやまふところに建つ、古くからの山岳信仰の霊場で、「こうのたけ(神之嶽)」が寺名の由来といわれます。
鎌倉幕府の信仰が厚く、吾妻鏡には、建久三年(一一九二)に、源頼朝が妻政子の安産を祈願して神馬を奉納したとあり、また、三代将軍実朝も、病気平癒のお礼に参詣しています。
豊臣秀吉の小田原北條攻めの時には、神武寺も戦火に遭うなど、度々、火災と再建を繰り返しています。
総門は、元は東逗子駅踏切り近くにありましたが、第二次大戦中に表参道の登り口に移され、更に、現在地に移されました。
「神武寺の晩鐘」として逗子八景に数えられる鐘も、太平洋戦争で供出を余儀なくされ、現在の鐘は戦後、昭和二十五年(一九五〇)に鋳直されたものです。
広大な寺域を持った時期もある、歴史あるお寺えす。
なお、周辺の常緑広葉樹林は、太古の三浦半島の植生をよく残す貴重な地域です。(逗子市・自然の回廊プロジェクト掲示より)
新編相模国風土記稿による神武寺の縁起
(沼間村)
神武寺
醫王山来迎院と號す、天台宗(鎌倉寶戒寺末)敬愛總て石山なり、其山間を穿ち平げて堂宇を建つ山麓に總門あり、本堂に至る迄凡五町其道屈曲して甚だ嶮阻なり(寺地古は櫻山村に屬すと云)行基の開基する所にて慈覺中興せしより法燈連綿して今六十九世に及ぶと云(按ずるに、小島重俊承久の亂に戰死、重俊曾孫阿闍梨重慶相州神武寺別當と見ゆ、世代の内なるべし、)本尊三尊彌陀を置く、
【寺寶】
△大感得明王畫像一軸(五頭權現と稱す、古昔隣村櫻山村牛招島より出現すと云ふ)
△鎧一領(三浦荒次郎義澄産着の鎧と稱す、安永中回禄に罹りて今存するもの圖の如し)
△薬師堂。行基の創立する所にして自作の像を置く、此像は鎌倉将軍殊に信仰ありて参拝ありしと云ふ(【東鑑】曰、承元三年五月十五日御参神嵩幷岩殿觀音堂、)又釋迦及十一面觀音を安ず(行基作)天正十九年十一月堂領五石の御朱印を賜ふ(其地は櫻山村にあり、)
△樓門
△山王社。櫻山村の鎮守とす、
△熊野社
△鐘樓。鐘は元和九年造る、
△岩窟。窟中弥勒の像を置く、寺傳に正應三年從三位中原光氏當山に籠て罪障消滅を薬師佛に祈りしに此地に在て三會の暁を待べしとの告ありしかば偏に菩提心を廢し窟中に入定せしと云ふ。
△弘法大師護摩壇石。山の中腹にあり、方三間許の黒き石なり、
△天狗腰掛松。圍一丈許、
△久明親王廟。山上の洞中に五輪塔あり、文字漫滅す、庶人猥に此に至れば祟ありと云ふ、鬼簿に親王嘉暦三年十月十四日五十五歳にて薨ずと見ゆ(【鎌倉武将執権記】を按ずるに、親王は正應二年十月廿五日、鎌倉に下向十一月九日将軍となる、延慶元年市議圧十九日歳三十二にして上洛嘉暦三年十月十四日薨ずと見ゆ、然れば此地の廟は遺骸を収めし所にあらず、想に御子守邦親王など造立せられしならん)(新編相模国風土記稿より)
神武寺所蔵の文化財
- 神武寺薬師堂(神奈川県指定重要文化財)
- 薬師三尊像(逗子市指定重要文化財)
神武寺薬師堂と薬師三尊像
薬師堂の創建された時代は明らかではありませんが、寺伝によると神亀元年(724)聖武天皇の霊夢によって僧行基が十一面観音、釈迦如来、薬師如来の三像を祀ったことが起りであるとされています。
吾妻鏡によると、承元三年(1209)五月十五日、将軍実朝がここに参詣したことを記しています。今の堂が建立されたのは文禄三年頃(1590)と推定され、室町時代末期の建築様式を示すものとされています。堂の中に秘仏薬師如来坐像と日光・月光両菩薩立像の三像が安置され、古くから人々の厚い信仰を受けています。(神奈川県教育委員会・逗子市教育委員会掲示より)
神武寺・薬師堂
薬師堂は「医王山・神武寺」の名の通り、薬師信仰の中心です。現在は銅葺屋根ですが、昔の茅葺屋根の葺き替え工事の「棟札」には慶長三年(一五九八)の年号が残されており、薬師堂は逗子では古くからの建築物の一つです。(県重要文化財)
「お薬師のお力によって、衆生の病苦が救われる」と信じられた薬師信仰が、極楽浄土を求める阿弥陀信仰と共に盛んでした。吾妻鏡にも源頼朝や政子が篤く信仰したことが記されています。
薬師堂の薬師三尊像(市重要文化財)は秘仏で、本来は三十三年に一度ご開帳されますが、年の暮れ十二月十三日には毎年、すす払いがあり、ご本尊拝観のチャンスがあります。
薬師堂脇の鷹取山ハイキング未知の左手には「女人禁制」の石柱があり、修験者(山にこもって心身を鍛える行者)がこの山で修行したことが分かります。
また、薬師堂の近くには樹齢四百年といわれるホルトの木(通称「なんじゃもんじゃ」の木、かながわの名木百選)や菩提樹などの大木があります。(逗子市・自然の回廊プロジェクト掲示より)
神武寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 醫王山 来迎院 神武寺