光照寺。悪源太義平の菩提を弔うために創建
光照寺の概要
高野山真言宗寺院の光照寺は、開宮山と号します。光照寺の創建年代等は不詳ながら、平治の乱(1159)で敗れた源義朝の長子悪源太義平の菩提を弔うために創建されたと伝えられます。当寺本尊の木造阿弥陀如来立像は、鎌倉時代後期の作とされ、神奈川県重要文化財に指定されています。湘南七福神の寿老人です。
山号 | 開宮山 |
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院号 | - |
寺号 | 光照寺 |
住所 | 逗子市沼間2-20-17 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光照寺の縁起
光照寺の創建年代等は不詳ながら、平治の乱(1159)で敗れた源義朝の長子悪源太義平の菩提を弔うために創建されたと伝えられます。
境内掲示による光照寺の縁起
光照寺
真言宗のお寺で、平治の乱(一一五九年)で敗れた源義朝の長子悪源太義平の供養に建てられたと伝えられていますが、創建は不詳です。明治の初めまでは沼間村の鎮守であった五霊神社を管轄する別当寺でした。
本尊の木造阿弥陀如来立像は玉眼、寄木造で、鎌倉時代の後期に作られたものです。(県指定重要文化財)
光照寺は湘南七福神の一つ。家庭円満、福徳延命の寿老人をお祀りするお寺です。
寺の前はギシドウ(議事堂)と呼ばれ、この付近は江戸時代、村の中心でした。昔はここに青年会が管理する畳敷きの部屋、囲炉裏、台所のある村の会議所がありました。
会議所は大正末年頃に現在の沼間会館の地に移され、名称も会館となりました。
初夏にはお寺の裏手、矢の根川(田越川の上流)でホタルの群生が見られます。(逗子市・自然の回廊プロジェクト掲示より)
新編相模国風土記稿による光照寺の縁起
(沼間村)
光照寺
開宮山と號す、古義真言宗(逗子村延命寺末、)本尊釋迦を安ず、(新編相模国風土記稿より)
光照寺所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来立像(神奈川県指定重要文化財)
木造阿弥陀如来立像
光照寺は山号を開宮山といい、真言宗に属するお寺です。残念ながら古い記録が残っておらず、開創の時期などは明らかになっていません。
本尊の木造阿弥陀如来立像は蓮華座の上に立ち、左右の手とも第一、二指を捻ずる上品下品の印を結んでいます。これは、現世を去り成仏しようとする信者を阿弥陀仏が極楽から迎えに来てくれる際に結ぶ印相で、来迎印とも呼ばれます。
像の構造は寄木造とみられ、眼に玉眼を嵌入し、表面に漆箔を施しています。こうした来迎印を結ぶ、本像と同様の三尺(約九〇センチ程度)の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代に入り、専修念仏の流行にともない、仏師快慶の作をはじめ、多くの像がつくられています。
本像は、整った顔立ちや、張りの強い面部、リズミカルな衣文表現など、よく中世の写実性を示す作例です。着衣法などが快慶の様式とは異なりますが、慶派の流れをくむ仏師の作と考えられます。鎌倉時代後期(十三世紀後半~十四世紀初)の作とみられ、小坪仏乗印の木造阿弥陀如来立像とともに、逗子市内に伝わる同様期の佳作といえます。(逗子市教育委員会掲示より)
光照寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿