引田大宮神社|あきる野市引田の神社

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引田大宮神社|足利基氏再建、引田村の鎮守

引田大宮神社の概要

引田大宮神社は、あきる野市引田にある神社です。引田大宮神社は、天平年間(729-748)に山城国宇治の浪士舘林嘉門が、出雲大社の土を持ち来て祠に納めて創祀したと伝えられます。後年足利基氏が延文2年(1357)に再建したと伝えられ、大永7年(1527)には当地の領主日奉宗連が再興、大宮明神社と称して引田村の鎮守となっていました。

引田大宮神社
引田大宮神社の概要
社号 大宮神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 若宮神社、三島神社、稲荷神社、藤太神社
住所 あきる野市引田944
祭日 4月第2日曜日
備考 -



引田大宮神社の由緒

引田大宮神社は、天平年間(729-748)に山城国宇治の浪士舘林嘉門が、出雲大社の土を持ち来て祠に納めて創祀したと伝えられます。後年足利基氏が延文2年(1357)に再建したと伝えられ、大永7年(1527)には当地の領主日奉宗連が再興、大宮明神社と称して引田村の鎮守となっていました。

境内石碑による引田大宮神社の由緒

天平の頃(西暦七二九年~七四八年)山城国宇治の浪士舘林嘉門諸国和歌修行中、出雲国松江駅に於て病苦難の折杵築大社の御神に立願し尊徳にて忽ち全快し御禮社参りの砌社内尊土を給り守護して巡行中、当地に来り住居を定め屋敷の傍に右尊土を納め祠を建て朝夕禮為居しは神官舘林左太夫の祖先にして夫より百姓近々増家し村内の鎮守と奉仰し后ち延文二酉年(西暦一三五七年)足利基氏朝臣再建二月一日棟上し当日を祭日と相定め奉幣神酒を備へ其の後大永七亥年当地の領主朝臣平山右衛門太夫再興今日に至るも其侭棟札有之候、去る元治元年(西暦一八六四年)馬場弥次郎と申する者旧幕上京供奉の砌り京都白川殿へ奉願上御採用の上「正一位大宮大明神」と奉り上申御免状並びに額面頂戴仕候(境内石碑より)

東京都神社名鑑による引田大宮神社の由緒

社伝によると神亀・太平年間(七二四-四八)、山城国宇治の人館林嘉門が当地に来て住所を定め、屋敷内に祠を建てたという。爾後、民百姓が集まってきて村の鎮守として崇めてきた。延元二年(一三三七)足利基氏が再建、二月-日に棟上げし当日を例祭日と定めた。元治元年(一八六四)馬場満次郎なる者が幕府軍に従い上洛のさい、白川殿に願上げ、正一位大宮大明神の御免状および額面を授与されたという。(東京都神社名鑑より)

「秋川市史」による引田大宮神社の由緒

大宮神社 引田九四四番地
江戸時代は大宮明神社とよばれた。『新編武蔵風土記稿』には「社地一万六千二百坪飴」とある。当時から相当の大きな社であったことがわかる。
なお『武蔵名勝図会』は、大宮明神の項に
村鎮守にて、祭神は氷川を勧請す、武蔵国大宮氷川神社なるゆえ、通称として大宮と号し奉る。ここにても氷川神社と言わず
としている。
つまり大宮明神といういい方は、大宮氷川神社を勧請したからだとしている。大宮氷川神社は古くから武蔵野台地の各地に勧請されたのであるが、それらの多くは、氷川といわず、大宮とよんだものであろう。
創建については、先の『新編武蔵風土記稿』も、「大永年中(一五二一~二七)の再興の棟札あり、されば古き社なる事は知らる」としている。やや存疑あるも社伝によれば、天平(七二九~四八)年間山城国宇治の人館林嘉門が、和歌の修業のために諸国を巡歴している中、出雲国松江で病気となった。出雲大社に祈念すると病気はたちまち全快したので、出雲大社の社内の土を給わり、それを守護してさらに修行を続けて当地に来たのである。ここに祠を定め、先の大社の土を納めて祀ったのが始まりという。
後年になって、延文二年(正平十二年<一三五七>) 足利基氏が再建したと伝える。その再建の上棟の日が二月一日で、その日が祭礼の日と定められていた。今も例祭日は二月一日で、現実には四月の第二日曜日に行っている。
大永七年(一五二七)には当地の領主日奉宗連が再興している。その棟札は、「新編武蔵風土記稿」や「武蔵名勝図会』に紹介されているが、今は朽れて僅かに一片を残すのみで、文字などは一切分からない。高橋源一郎氏の『武蔵野歴史地理」第六冊にその文言の写しが載せられているので左に記しておく。(銘文省略)
またこの社はこの後寛永四年(一六二七)天和元年(一六八一)などにも再興された棟札があり、なおその後も、宝永、寛政などにも修築が行われている。
幕末の元治元年(一八六四)幕臣の馬場弥(満とも)次郎が、京都供奉の折、白川殿より正一位大宮大明神の神号を称する免許状と額面を拝領している。明治初年から大宮神社と改称された。
御祭神は大己貴命である。(「秋川市史」より)

新編武蔵風土記稿による引田大宮神社の由緒

(引田村)
大宮明神社
社地、一萬六千二百坪餘、村の東の方にあり、祭神詳ならず、小祠、東向、本地不動は弘法大師の作なりと云、大永年中再興の棟札あり、されば古き社なる事は知らる、例祭年々二月朔日村の鎮守なり、村内眞照寺の持、棟札左の如し、
末社
若宮八幡社、小社、(新編武蔵風土記稿より)


引田大宮神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」
  • 東京都神社名鑑