秋川神明社|あきる野市牛沼の神社

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秋川神明社|旧日吉山王大権現

秋川神明社の概要

秋川神明社は、あきる野市牛沼(小名)にある神社です。秋川神明社の創建年代等は不詳ながら、真照寺の山王権現のご神体(永禄元年1558年鋳造の円鏡か)が、何度か流出して牛沼に着岸したので当地に奉安、日吉山王大権現と称して、牛沼の鎮守社としたといいます。明治3年(1870)秋川神社と改称、明治43年牛沼の徳重院内にあった村社神明社と合祀して、秋川神明社と改称しています。

秋川神明社
秋川神明社の概要
社号 秋川神明社
祭神 天御中主命、国底立命、天照大神、高皇産霊命、少毘古那命、高皇産命、猿田毘古命、大国主命、保食姫命
相殿 -
境内社 -
住所 あきる野市牛沼88
祭日 5月5日
備考 -



秋川神明社の由緒

秋川神明社の創建年代等は不詳ながら、真照寺の山王権現のご神体(永禄元年1558年鋳造の円鏡か)が、何度か流出して牛沼に着岸したので当地に奉安、日吉山王大権現と称して、牛沼の鎮守社としたといいます。明治3年(1870)秋川神社と改称、明治43年牛沼の徳重院内にあった村社神明社と合祀して、秋川神明社と改称しています。

東京都神社名鑑による秋川神明社の由緒

秋川神社。もと日吉山王大権現と称し、同村神明神社と合祀して秋川神明社と改めた。創立起源は不詳であるが、伝えるところによると、正親町天室の、水禄年代末(一五六九年ころ)一面の唐銅円鏡を鋳造し、御神体として奉拝していたが、梵字が鋳出してあるため取除き、現存している。また古老の言によると、秋川満水のさい、一面の神鏡が流れきたり、引人はこれを山王大権現と安め奉った。また、永禄年間(一五五八-七〇)檜原城主平山新左衛門尉氏重の臣、志村肥前守景元の所領引田村真照寺が参拝する、山王権現の御神体が流着し、本宮に返すが、再び流出し同地に着岸することにより彼、村民ともに現地の神慮にかなうことを知覚して、永遠御鎮内地として、安置するに至ったともいわれている。(東京都神社名鑑より)

「秋川市史」による秋川神明社の由緒

秋川神明社 牛沼八八番地
創立年代は不詳である。江戸時代は日吉山王社とよばれていた。通称は山王様で、日吉山王大権現ともいわれていたのである。明治三年(一八七〇)十一月社号を秋川神社と改称した。明治六年(一八七三)村社となったが、中ごろゆえあって社格が消滅した。明治四十三年(一九一〇)六月二十三日、牛沼の徳重院内にあった村社神明社と合祀して、秋川神明社と改称されたのである。
永禄元年(一五五八)一月二十三日鋳造の円鏡が、永い間ご神体として崇められてきたが、仏体の梵字が鋳造してあったので、明治初年の神仏分離で取り除かれて今はなくなっている。
伝承によると、もと秋川の上流の引田村にあった真照寺の山王権現のご神体が、何度か流出して牛沼に着岸したので、ここに安置したのだという。
御祭神は国底立命、天御中主命、天照大神、高皇産霊命、少毘古那命、神皇産霊命、大国主命、保食姫命、猿田毘古命の九柱の神々となっている。
例祭日は五月五日である(「秋川市史」より)

新編武蔵風土記稿による秋川神明社の由緒

(牛沼村)
日吉山王社
社地除、一段五畝、村の南にあり、本社に覆屋あり、二間に二間半、拝殿二間に四間村内の鎮守なり、祭神は大己貴命、少彦名命鎮座の年歴詳ならず、例祭二月初午及び四月初二兩度の申日をもて祭れり、神職中村大和が持なり、
末社八幡宮、牛頭天王、疱瘡神、稲荷、弁天。何れも小祠なり、
大鐘。享保十六年の新鑄銘文あり、取べき事なければ略す、
神楽堂。二間に三間、(新編武蔵風土記稿より)


秋川神明社所蔵の文化財

  • 秋川神明社のスギ(あきる野市指定天然記念物)

秋川神明社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」
  • 東京都神社名鑑