地蔵院|あきる野市雨間にある臨済宗建長寺派寺院

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龍雨山地蔵院|江戸幕府より寺領10石の御朱印状、常福寺と大仙寺を合併

地蔵院の概要

臨済宗建長寺派寺院の地蔵院は、龍雨山と号します。地蔵院の創建年代等は不詳ながら、永享10年(1438)の創建と伝えられ、普門寺五世碧山有泉禅師が享徳年間(1452-1454)に開山したといいます。江戸時代には寺領10石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領しています。明治初年に地内の常福寺と大仙寺とを合併しています。

地蔵院
地蔵院の概要
山号 龍雨山
院号 地蔵院
寺号 -
住所 あきる野市雨間1101
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 地蔵院西山園
備考 -



地蔵院の縁起

地蔵院の創建年代等は不詳ながら、永享10年(1438)の創建と伝えられ、普門寺五世碧山有泉禅師が享徳年間(1452-1454)に開山したといいます。江戸時代には寺領10石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領しています。明治初年に地内の常福寺と大仙寺とを合併しています。

新編武蔵風土記稿による地蔵院の縁起

(雨間村)
地蔵院
當寺も下村にあり、龍雨山と號す、禅宗臨済宗、郡中野邊村普門寺末、御朱印十石の地を附せらる、碧山有泉享徳三年九月十三日寂す、本尊地蔵、長三寸餘、客殿八間に六間半、
常福寺
除地、一石餘、地頭免、小名澤向にあり、當寺も普門寺の末なり、醫王山と號す、開山宗祥寛永六年寂す開基は此村の地頭青柳若狭守が室、常福院月山妙圓とて元和九年六月十日寂すと云、客殿三間に五間半、本尊釋迦坐像、長一尺餘、
大仙寺
境内年貢地、小名向雨間にあり、これも普門寺の末なり、鷲嶺山と號す、開山三省寂年詳ならず、本尊正觀音坐像、長一尺五寸なり、客殿に安置す、 (新編武蔵風土記稿より)

「秋川市史」による地蔵院の縁起

地蔵院 雨間一一〇一番地
山号は竜雨山という。本尊は地蔵尊である。臨済宗建長寺派である。
開創は永享十年(一四三八)と伝えているが、開基は詳かにしていない。その後、普門寺五世碧山有泉禅師を請うて開山としたのが、享徳年間(一四五二~五四)と伝えている。碧山有泉禅師の示寂したのは享徳三年(一四五四)九月十三日である。
江戸時代、慶安二年(一六四九)八月二十四日、三代将軍家光より御朱印十石を下付された。その後、年代は分からないが火災にあい堂宇、古記録類はすべて烏有に帰した。
十七世芸叟碩耕和尚(天明四年<一七八四>一月二十九日示寂) の時再建され、以後順次復興に努力し、大正十五年(一九二六)には本堂の茅葺き屋根を、現在のような亜鉛葺きに改めたのであった。
なお「新編武蔵風土記稿』には、雨間に所在した寺で、普門寺末の常福寺と大仙寺を記載している。この二寺は明治初年に地蔵院へ合併したのである。(「秋川市史」より)


いいお墓

地蔵院所蔵の文化財

  • 地蔵院の板碑一基貞和四年銘(あきる野市指定有形文化財)
  • 地蔵院の板碑一基元応二年銘(あきる野市指定有形文化財)
  • 地蔵院のカヤ(あきる野市指定天然記念物

地蔵院の板碑一基貞和四年銘

板碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて、追善や生前供養などの目的で作られた石製塔婆の一種です。
蓮華台の上に、草書体で「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の名号(称号)が大きく彫られていることから、名号板碑と呼ばれます。下方右側には「貞和四年」(一三四八)、左側には「正月廿一日」の文字が刻まれています。
市内では数少ない名号板碑のひとつで、遺存状態も非常に良好です。石材は秩父産の緑泥片岩が使用されています。(あきる野市教育委員会掲示より)

地蔵院の板碑一基元応二年銘

蓮華台の上に種子(梵字)で表した阿弥陀三尊を配し、天蓋瓔珞で飾っています。下部中央には「元応二年二月一日」の年号(=一三二〇)、その両脇に法名「沙弥円心」、更に仏教の真理を詩の形で表現した偈が左右に刻まれています。上部は失われていますが彫刻の技術は優れ、石材の仕上げも丁寧です。
銘文以外の部分に法名を刻んだものとして秋川流域最古です。また、土中に埋め込む基部には年号のいわゆる「試し彫り」が施されており、多摩地域やその周辺に例を見ないものです。(あきる野市教育委員会掲示より)

地蔵院の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」