鎮守山大行寺|平山季重創建、開明学舎開校地
大行寺の概要
真言宗豊山派寺院の大行寺は、鎮守山明王院と号します。大行寺は、平山季重が開基となり建氷2年(1207)に創建したと伝えられ、室町時代には寛正年間(1460-1565)には小宮上野介憲明の祈願所だったともいいます。江戸期には幕府より寺領13石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領、明治6年には開明学舎が開校しています。多摩八十八ヶ所霊場57番です。
山号 | 鎮守山 |
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院号 | 明王院 |
寺号 | 大行寺 |
住所 | あきる野市草花3036 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大行寺の縁起
大行寺は、平山季重が開基となり建氷2年(1207)に創建したと伝えられ、室町時代には寛正年間(1460-1565)には小宮上野介憲明の祈願所だったともいいます。江戸期には幕府より寺領13石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領、明治6年には開明学舎が開校しています。
新編武蔵風土記稿による大行寺の縁起
(上草花村)大行寺
村の中程にあり、新義眞言宗、同郡横澤村大悲願寺の末、鎮守山と號す、開山隆豊寂年を傳へず、本尊不動木の坐像にて長二寸ばかり、客殿七間に八間、南向なり、御朱印寺領十三石村内にて賜ふ、
鐘樓。境内に入左の方にあり、
塔中
圓能寺。今は廢せり、(新編武蔵風土記稿より)
「秋川市史」による大行寺の縁起
大行寺(草花三〇三六番地)
山号は鎮守山、院号は明王院という。真言宗豊山派、もとは五日市町横沢の大悲願寺末であった。本尊は不動明王である。元禄十四年(一七〇一)鎌倉の三橋但馬守らの作といわれる。
草創は建氷二年(一二〇七)と伝えられ、開山は隆豊上人となっている。上人の寂年月日は詳かでない。
寺伝によれば、開山当時は開基と伝える平山季重の祈願所となっていたという。その後室町時代になって、寛正年間(一四六〇~六五)小宮上野介憲明の祈願所となり、寺領七石を賜わったという。江戸時代になると、慶安二年(一六四九)徳川家光より、御朱印地十三石を受領した。
大永年間(一五二一~二七)と寛文年間(一六六一~七二)の両度の火災により、古記録類を焼失したので、寺の由緒の詳細は不明である。
文化財として写経の残欠がある。一行一七字、六行分と四行分とあり、六行分は弘法大師真筆、四行分は光明皇后真跡と伝えているが、いずれも奈良時代初期のものと考えられ、この地方最古の珍しいものである。
明治六年(一八七三)草花村、原小宮村、平沢村など五か村連合組合立開明学舎が開校したとき、当寺が校舎にあてられた。開明学舎は同八年開明学校となったが、同十六年長泉寺に移るまで、当寺に校舎がおかれたのである。(「秋川市史」より)
大行寺所蔵の文化財
大行寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿