菅生山蔵守院|寺領8石の御朱印状
蔵守院の概要
曹洞宗寺院の蔵守院は、菅生山と号します。蔵守院は、天寧寺六世九山整重が天正6年(1578)に開山したと伝えられ、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領8石の御朱印状を受領しています。
山号 | 菅生山 |
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院号 | 蔵守院 |
寺号 | - |
住所 | あきる野市菅生1767 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
蔵守院の縁起
蔵守院は、天寧寺六世九山整重が天正6年(1578)に開山したと伝えられ、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領8石の御朱印状を受領しています。
新編武蔵風土記稿による蔵守院の縁起
(菅生村)蔵守院
村の北の方大澤山の東にあり、禅宗曹洞派、菅生山と號す、同郡根ヶ布村天寧寺の末、開山九山聖重、天正十二年七月十三日示寂、是は本寺天寧寺の六世なり本尊千手観音、木の坐像、長八寸、左右に毘沙門不動、木の立像、長六寸許なるを安ず、客殿七間に五間、御朱印寺領八石を賜ふ、領地は村内にあり、(新編武蔵風土記稿より)
「秋川市史」による蔵守院の縁起
蔵守院
山号を菅生山と号し、曹洞宗永平寺派に属し、もとは青梅市根ケ布天寧寺末であった。一説によれば、創建当時は、大沢の観音平というところにあったとも伝えられている。
本尊は木造千手観世音菩薩坐像、安置する厨子の内側には金泥の十三仏が画かれていて、ご本尊と共に美術的な優品である。
寺伝によれば天正六年(一五七八)七月、天寧寺六世九山整重によって創建されたという。整重和尚は天正十四年(一五八六)七月十三日示寂している。
なお第二世碓屋鉄祖和尚は享保二年(一七一七)二月八日示寂している。第一世整重和尚の示寂とのへだたりは、一三〇年ある。このことについて『菅生村村誌」は、
按ズルニ該寺、昔時密宗寺院ノ衰毀セシニ曹門僧侶住職シテ享保年間改宗シ九山整重ヲ勧請関山トナシ法地ニ属セシナルベシ
と記しているという。山上茂樹翁によれば、この村誌の記事からみると、他宗から曹洞宗に変わったようにみえるが、その間の各檀家の戒名等に変化もないので、始めから曹洞宗天寧寺末として創建され、兼務住職だったか、無住の期間であったのではないかとしている(『秋川市多西郷土精史』四二頁)。
慶安二年(一六四九)八月二十四日、三代将軍家光より八石の御朱印地を賜わっている。
大正二年(一九一三)四月十日、土蔵及び大日堂を残して庫裡、本堂悉く焼失してしまった。しかし幸い、本尊初め寺宝の多くは類焼をまぬがれたのであった。
大正三年(一九一四)庫裡新築、同十二年(一九二三)四月二十日本堂が再建された。境内に古くからあった大日堂は、火災をまぬがれたが、破損が甚しかったので、本堂再建とともに取り去られてしまった。(「秋川市史」より)
蔵守院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「秋川市史」