糟嶺神社|墳墓上に鎮座、入間村の鎮守
糟嶺神社の概要
糟嶺神社は、調布市入間町にある神社です。糟嶺神社の創建年代は不詳ですが、当地は多摩郡に4ヵ所ある墳墓の一つだといい、当初は墳墓の下部に鎮座し、入間村の鎮守社として祀られていたといいます。宝暦8年(1758年)墳墓の上に遷座、明治6年には村社に列格していたといいます。
社号 | 糟嶺神社 |
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祭神 | 糟嶺大神 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社2社、天神社 |
住所 | 調布市入間町2-19-13 |
祭日 | - |
備考 | - |
糟嶺神社の由緒
糟嶺神社の創建年代は不詳ですが、当地は多摩郡に4ヵ所ある墳墓の一つだといい、当初は墳墓の下部に鎮座し、入間村の鎮守社として祀られていたといいます。宝暦8年(1758年)墳墓の上に遷座、明治6年には村社に列格していたといいます。
新編武蔵風土記稿による糟嶺神社の由緒
(入間村)糟嶺明神社
村内の鎮守なり、本社南向、続に三尺五寸四方、神體木の立像にて束帯なり。本地十一面観音は明照院の境内に置り。本社には三間に三間の上屋をなせり。社頭には古松立り前に二十九級の石階を設く。當社鎮座の始はたしかに傳へされど、寛永六己巳年九月廿九日と記せる棟札あり。この頃の鎮座なりや。もしくは古棟札をば失ひて、此時の再建なるや、今よりしるべからず、例祭九月なり。村内明照院の持。
末社。天満宮。稲荷祠、纔なる祠にて、何れも本社の右にあり(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による糟嶺神社の由緒
創建年月は不詳であるが、往昔多摩郡の内四つの墳陵の一つといわれ、社地は高さ二間一尺、根廻り七十間余の墳陵の上にある。しかし往昔は、墳陵の下にあったが宝暦八戌寅年墳上に引移したと伝わる。明治六年十二月村社に列せられた。(北多摩神社誌より)
東京都神社名鑑による糟嶺神社の由緒
不詳なるも、旧字名を陵山といい、現社殿はその古墳上にある。(東京都神社名鑑より)
糟嶺神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
- 東京都神社名鑑