明照院|調布市入間町にある天台宗寺院

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大悲山明照院|調布七福神の弁財天、多摩川三十三ヶ所観音霊場

明照院の概要

天台宗寺院の明照院は、大悲山観音寺と号します。明明照院は、秀海(永禄12年1569年寂)が開山、糟嶺神社の別当寺を勤めていたといいます。多摩川三十三ヶ所観音霊場18番、調布七福神の弁財天です。

明照院
明照院の概要
山号 大悲山
院号 明照院
寺号 観音寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 調布市入間町2-19-12
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 調布七福神の弁財天



明照院の縁起

明照院は、秀海(永禄12年1569年寂)が開山、糟嶺神社の別当寺を勤めていたといいます。

新編武蔵風土記稿による明照院の縁起

(入間村)明照院
除地、一町、除地の内百坪餘は山林なり、大悲山観音寺と號す、天台宗、東叡山の末、開山秀海永禄十二年五月二日の示寂なり、客殿は東向六間半に八間半にて、三間に一間の向拝をつけたり、本尊弥陀木の坐像一尺餘恵心の作を安置せり。
観音堂。客殿の東にあり、堂二間半四方北向、十一面観音木の坐像長二尺許、作はしれず、これ糟嶺明神の本地佛なりと。
閻魔堂。是も同じ所にあり、二間半に二間南向、閻魔は木の坐像にて、わづかに二尺五寸許り。(新編武蔵風土記稿より)

「調布市百年史」による明照院の縁起

明照院(入間)
入間陵山の山上に糟嶺神社と並んで建っている。
大悲山明照院と号し、天台宗。
<開山>秀海(永禄一二年-一五六九-五月二日示寂)
<本尊>阿弥陀如来(木彫の坐像一尺余、恵心の作と伝える)
本堂は、東に面して建ち、昭和一〇年三月に改築されたもので、堂前に観音堂、閻魔堂がある。閻魔堂は二間半に二間、荒れたままになっている。堂内には極彩色の閻魔像を安置しているが、三基のうち、頭上に小仏を載せた中央の一座があるのみで、左右は台座だけが残っている。
観音堂は方二間半、『新編武蔵風土記稿』によれば、「十一面観音木の坐像長二尺許、作はしれず、これ糟嶺明神の本地仏なり」とある。
本寺はもと別のところにあったが、糟嶺神社を陵山頂上に奉遷したさい、別当寺であったところから、山上部をならし、同時に移したものという。(「調布市百年史」より)


明照院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿