菊野台八剱神社|建武年間当地方に在住した鎌倉幕府の家臣等が奉祀
菊野台八剱神社の概要
菊野台八剱神社は、調布菊野台にある八剱神社です。菊野台八剱神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉幕府の家臣等が建武年間当地方に在住し原野を開き一村を形成した創業の功績を称え八名の佩刀を神宝として産土神に奉祀、八劔神社と称したいい、明治40年村社に列格していました。
社号 | 八剱神社 |
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祭神 | 開村祖先の神霊 |
相殿 | 素盞嗚大神、伊奈半左衛門神霊 |
境内社 | - |
住所 | 調布菊野台3-42-1 |
備考 | 旧村社 |
菊野台八剱神社の由緒
菊野台八剱神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉幕府の家臣等が建武年間当地方に在住し原野を開き一村を形成した創業の功績を称え八名の佩刀を神宝として産土神に奉祀、八劔神社と称したいい、明治40年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による菊野台八剱神社の由緒
(大町村)八剱宮
除地、三畝十八歩、九尺に一丈二尺の覆屋、村の東にあり、祭神詳かならず、本地正観音を安す、立身の木像の、長一尺、清教寺の持なり(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による菊野台八剱神社の由緒
調布市旧大町村の鎮守であり、崇敬縁起創立年月は不詳である。開村祖先神霊八座は往時鎌倉幕府の家臣等が建武年間当地方に在住し原野を開き一村を形成した創業の功績を称え八名の佩刀を神宝として産土神に奉祀し、依て八劔神社と称したと伝えられている。勧請年紀等書類は焼失したと云う。明治四十年村社に列せられる。昭和四十三年社殿改築及び社務所を新築した。(北多摩神社誌より)
菊野台八剱神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)