若宮八幡神社|上石原宿の鎮守
若宮八幡神社の概要
若宮八幡神社は、調布市下石原にある八幡神社です。若宮八幡神社の創建年代等は不詳ながら、上石原宿小名下(宿の東方)に鎮座、延宝4年(1676)以前の創建と伝えられるといい、上石原宿の鎮守だったともいいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 仁徳天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
住所 | 調布市下石原3-5-2 |
祭日 | 9月15日 |
備考 | - |
若宮八幡神社の由緒
若宮八幡神社の創建年代等は不詳ながら、上石原宿小名下(宿の東方)に鎮座、延宝4年(1676)以前の創建と伝えられるといい、上石原宿の鎮守だったともいいます。
新編武蔵風土記稿による若宮八幡神社の由緒
(上石原宿)八幡聖天合社
除地、一町歩、小名下にあり、本社八尺に四尺、宮造西に向ふ、上屋三間に四間、茅葺、社前に木の鳥居を建つ、八幡宮神體は白幣なり、聖天は秘して開扉を許さず、両社共に宿の鎮守にして、例祭年々九月十五日なり、社地は松杉鬱蒼たり、神木と稱せる大杉一株あり、圍一丈四尺ばかり、昔は此森の内に両社東西に相對してありしが、いつの比か合殿となれり、遷座の年歴を傳へず、西光寺の持
末社
秋葉社。
第六天社。
牛頭天王社。以上四社ともに合殿、東に向へり、社八尺に四尺五寸、四扉板葺、神體は各白幣なり、本社と相對して西の方にたてり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による若宮八幡神社の由緒
往昔より上石原の鎮守社で、通称若宮八幡神社と呼ばれ、創建年代は詳かでないが、延宝四年(一六七六)以前といわれる。本殿は文化四年(一八〇七)再建である。(東京都神社名鑑より)
北多摩神社誌による若宮八幡神社の由緒
往昔より上石原の鎮守社で、通称若宮八幡神社と呼ばれ、創建年代は詳かでないが延宝四年以前といわれる。現在の本殿は文化四年の再建で、拝殿は昭和三十八年に新築されたものである。(北多摩神社誌より)
境内掲示による若宮八幡神社の由緒
仁徳天皇は八幡社祭神応神天皇の皇子にあらせられるので當神社を若宮八幡神社と申す。武蔵風土記に宿の鎮守にて鎮座の年歴を傳へずと記されたように古社であるが遠い昔に祖先を遥かに霊峰富士を仰ぎ清き多摩の流れにうるおうこの里のしずめと豊かなみのりとを希い産業を興し仁慈を垂れられた御事績をたたえて此の処に仁徳天皇をお祀りした。相殿には四社明神が合祀されている。(境内掲示より)
「調布市百年史」による若宮八幡神社の由緒
若宮八幡神社(上石原)
西調布駅の南、道路東側がけの上にある。
<祭神>仁徳天皇
天皇は八幡神社祭神として祭られている応神天皇の御子であることから、若宮八幡と称せられる。
鎮座の由緒については伝わるものがなく、その建立年代についても、従来延宝四年(一六七六)とされていたが、実際にはそれよりも古くからあったともいわれている。
古くは道路をはさんで境内があり、東境内に本社が西向きに、西境内に末社四社明神と、別地にあった稲荷社が、東向きに祭られていた。
四社明神とは、第六天・牛頭天王・秋葉権現・天満宮の四柱で、明治三五年、氏子からの願い出によって許可を受け、前記明神は四社神社と改称して、独立社となった。越えて明治四二年、再度の願い出によって本社に合祀され、稲荷社も四社神社の社殿を利用して、ここに移された。
祠は本社北側に移され、西境内は空地となってわずかの立木と草むらになってしまった。現在、西境内だった地の大部分は個人の邸宅になっている。
現在の拝肢は、昭和三八年完成のものであるが、特筆すべきはその本殿である。
四二年四月一日、調布市文化財(重宝建造物第一号)として指定され、社前に次のような説明書が立てられている。<説明書省略>
石段を登り、石の鳥居を過ぎれば、右手に御手洗、竜の口より落ちる。参道正面の社殿は、遠き日の上石原田地を望んで鎮まっている。境内一帯、かつては社殿も、老杉古松、その他古木におおわれ、うっそうとして日中でも暗かったが、今は老木の多くが枯死して、わずかに朽ちた根株にその面影をとどめるのみである。社地の南一帯は、水田であったが、今では屋並みに変わり、昔日の姿はなくなっている。
若宮八幡については、当地出身の前教育長吉田亮が、その著『上石原の歴史と鎮守若宮八幡神社』で詳細に述べている。
当社にあった八幡大神の木像は、明治初年、西光寺(当社の別当寺であった)に移され保存されていたが、明治一二年、酉光寺炎上のさい、焼失して現存していない。
什物の中には、本殿営造の時に棟梁政永がつくった、ケヤキ材の台、木彫八幡立像(丈一尺)、延宝四年(一六七六)別当西光寺の法印弁雄作、木板八幡座像画などがある。
本殿造営時使用の槌は当地中村俊一方に、上棟の幣帛および箱は同じく青木勘一宅に、それぞれ保存されている。(「調布市百年史」より)
若宮八幡神社所蔵の文化財
- 上石原若宮八幡神社本殿(調布市指定文化財)
上石原若宮八幡神社本殿
本殿は覆屋内に建ち、一間舎流れ造り、総ケヤキ造りである。身舎の四方に腰組縁をめぐらし、正面に向拝を設け、軒は二軒、正面軒唐破風、屋根はこけら葺きである。板壁部等に説話を主題とした彫刻を一面に飾り付け、向拝柱や長押にも繊細な地文を刻み、極めて装飾性豊かな建物で、江戸時代後期を代表する神社建築として重要である。
幣束収納箱の蓋裏に「文化四年 棟梁入間郡中藤沢村 杉田石見頭政永 同喜兵衛」と墨書されており、再建年代及び作者も明らかである。(調布市教育委員会掲示より)
若宮八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「調布市百年史」