青渭神社|延喜式内社、旧郷社
青渭神社の概要
青渭神社は、調布市深大寺元町にある神社です。青渭神社は、延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内の一座で、西暦900年より以前に創建されていたとされます。明治時代には郷社に列格していました。
社号 | 青渭神社 |
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祭神 | 青渭押比売命・水波能売大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 調布市深大寺元町5-17-10 |
祭日 | - |
備考 | - |
青渭神社の由緒
青渭神社は、延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内の一座で、西暦900年より以前に創建されていたとされます。明治時代には郷社に列格していました。
「新編武蔵風土記稿」による青渭神社の由緒
(深大寺村)青波天神祠
深大寺より東の方三町ばかりにあり、こゝの字を池の谷戸と云、鎮座の年代を詳にせず、土人云、往古社地に池ありしが、青波たちて社前に至りしゆへかく號すと、此説は浮たることなり、又云これ式内にのする青渭の神社なりと、されど青渭神社は郡内深井村にある社是なりと云ときは、當社は恐くは式内にてはあらざるべし、青波の字青渭と相近きにより、かゝる附會の説おこりしにや、社は僅なる祠にして東向なり、傍に圍一丈五尺あまりの槻の老樹あり古き勧請なることは疑ふべからず。(「新編武蔵風土記稿」より)
境内掲示による青渭神社の由緒
創立年月日は不詳であるが、往古(三千年~四千年以前)先住民が水をもとめ居住した際、その生活に欠くことの出来ない水を尊び、祠を建て水神を祀ったものと伝えられている。御祭神は水波能売大神・青渭押比売命、又一説には社前大池に棲む蛇を祀ったとも云われている。神社明細帳等によれば、当社は延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内にて、官祭の社で重き御社であったと伝えられている。往古は社前におよそ五町歩余の境内地があり、大池に混々と湧水あり、音波をたたえていた所から、青波天神杜とも称された。旧深大寺町の総鎮守である。尚杜前に槻の老樹がそびえ、市内随一の巨木で、調布市文化財天然記念物に指定されている。(北多摩神道青年会掲示より)
青渭神社の周辺図