覚東子之神社|子ノ権現社と称して覚東村に鎮座
覚東子之神社の概要
覚東子之神社は、狛江市西野川にある子之神社です。覚東子之神社の創建年代は不詳ですが、子ノ権現社と称して覚東村で祀られていたといいます。明治元年村内にあった三嶋社を合祀、明治4年村社に列格したといいます。
社号 | 子之神社 |
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祭神 | 大己貴大神 |
相殿 | 大山咋神 |
境内社 | - |
住所 | 狛江市西野川1-17-8 |
祭日 | 例祭9月19日 |
備考 | 旧村社 |
覚東子之神社の由緒
覚東子之神社の創建年代は不詳ですが、子ノ権現社と称して覚東村で祀られていたといいます。明治元年村内にあった三嶋社を合祀、明治4年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による覚東子之神社の由緒
(覚東村)
三島社
社地、十間に四間、纔かなる社にて東向、神體白幣を立つ、九尺四方の上屋を構ふ。前に木の鳥居あり、鎮座の初を詳にせず、村内千手院の持。
子ノ権現社
除地、四間に二十間、本社二尺四方、上屋は九尺四方、前に木の鳥居を立、ここも鎮座の初を傳へず、千手院の持。(新編武蔵風土記稿より)
北多磨神社誌による覚東子之神社の由緒
子之神社(狛江市覚東一八二)
縁起創建年月は不詳である。相殿に配祀せる大山咋命は覚東内の三嶋に村社三嶋神社を、明治元年相殿に配祀したものである。同四年十月村社に列せらる。明治二十年本殿一宇改造、更に昭和四十年拝殿及拝殿と本殿との間に接続する廊下が新築された。(北多磨神社誌より)
覚東子之神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)