光明山覚證寺|細川龍左衛宗光が出家、旧築地本願寺の寺中寺、昭和19年当地へ移転
覚證寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の覚證寺は、光明山と号します。覚證寺は、諏訪部丹後守一二世の孫細川龍左衛宗光が出家、その子弁之介光恵が本願寺十三世良知上人の弟子となり、釈宗龍法師(慶安2年1649年寂)と改めて当寺を開基したといいます。文禄3年(1594)京都から江戸浜町御坊へ移転、築地本願寺の寺中寺として法燈を続けていたものの、関東大震災により被災し調布飛田給へ移転、調布飛行場建設に伴い昭和19年当地へ移転したといいます。
山号 | 光明山 |
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院号 | - |
寺号 | 覚證寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 調布市富士見町1-35-5 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
覚證寺の縁起
覚證寺は、諏訪部丹後守一二世の孫細川龍左衛宗光が出家、その子弁之介光恵が本願寺十三世良知上人の弟子となり、釈宗龍法師(慶安2年1649年寂)と改めて当寺を開基したといいます。文禄3年(1594)京都から江戸浜町御坊へ移転、築地本願寺の寺中寺として法燈を続けていたものの、関東大震災により被災し調布飛田給へ移転、調布飛行場建設に伴い昭和19年当地へ移転したといいます。
「調布市百年史」による覚證寺の縁起
覚証寺
光明山覚証寺と号し、真宗本願寺派。
<本尊>親鸞上人親蹟阿弥陀仏画像
<開基>釈宗龍
寺伝によれば、信州諏訪の住人で、諏訪部丹後守一二世の孫。細川家を相続して細川龍左衛宗光と号したが、遁世して深く仏に帰依するようになった。その子弁之介光恵もまた信仰心があつく、致仕閑居の身となってから京に上り、本願寺十三世、良知上人の弟子となった。
この光恵が開基、釈宗龍法師であり、永禄四年(一五六一)誕生、慶安二年(一六四九)四月二日寂した。
文禄三年(一五九四)、京都から江戸浜町御坊に移り、以来法燈を続けてきたが、大正一二年九月一日関東大震災に焼失、昭和四年、当時の調布町飛田給に法燈を移したが、光岳寺・長専寺と同様の理由によって昭和一九年現在地に転じた。
寺宝に、善導大師御影・見真大師真筆三方阿弥陀如来・聖徳太子像など数々ある。聖徳太子尊像は、一般のものとは違った容相といわれるが、戦時中防空壕に保管安置されたため、損傷がはなはだしく、修理も困難な状態にあるため、そのまま大切に保存されている。(「調布市百年史」より)
覚證寺の周辺図
参考資料
- 「調布市百年史」