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覚宗稲荷神社|東久留米市東本町の神社

覚宗稲荷神社の概要

覚宗稲荷神社は、東久留米市東本町にある稲荷神社です。覚宗稲荷神社の創建年代は不詳ながら、浄牧院の鬼門にあたる当地にあった覚宗寺に祀られていた稲荷神社を起源とするといいます。覚宗寺が廃寺となった後、本寺であった浄牧院31世住職が中心となり、昭和2年に当社を再建したといいます。

覚宗稲荷神社
覚宗稲荷神社の概要
社号 覚宗稲荷神社
祭神 豊川稲荷の分身ダキニ天真天
相殿 -
境内社 -
住所 東久留米市東本町16
祭日 -
備考 浄牧院管理



覚宗稲荷神社の由緒

覚宗稲荷神社の創建年代は不詳ながら、浄牧院の鬼門にあたる当地にあった覚宗寺に祀られていた稲荷神社を起源とするといいます。覚宗寺が廃寺となった後、本寺であった浄牧院31世住職が中心となり、昭和2年に当社を再建したといいます。

覚宗稲荷講の境内掲示による覚宗稲荷神社の由緒

ここにお祭りされてありますお稲荷さまは、此の地に今より約150年ほど前まで浄牧院の末寺である覚宗寺と云ふ古寺があって、其の寺の境内にあり守護神としてお祭りされたので、此のことから古寺の名を付けて覚宗寺稲荷と伝えられるが、一般には浄牧院の鬼門に当るので鬼門除にお祭りされたとも云はれている。しかし此の覚宗寺もおそらく無住となり長い年月を経て寺も潰れ屋敷のようにあり、御本尊は当時の浄牧院住職によって寺に移され現在に至っても安置されております。
そして、此のお稲荷さまの御神体は祠と共にそのまま此の地に残され、何十年もの間放棄されてあったが、昭和2年に旧門前部落と浄牧院第三十一世住職を始め暖かい信仰者によって社殿を新築され遷宮式を行ったので、此の時昔から部落に伝はる郷土万作踊りを披露したのであります。
それより五十有余年の間には社殿も朽ち、その上境内も荒れはてたので、浄牧院第三十二世藤井猷孝住職と地元信仰者によって、昭和54年3月境内の大整備並びに社殿の大修理を行ったのであります。
これを機会に門前といふ長い歴史のある部落の地名も昭和54年10月の市制施行により町名が変り残念ながらその姿を消してしまったので、何とか門前といふ地名を残したいとの事で再度の協議により覚宗稲荷大明神として改めたのであります。
此のお稲荷さまの御神体は愛知県豊川市にある曹洞宗派の円福山妙厳寺の豊川稲荷の御分身をお祭りした誠にあらたかなダキニ天真天であります。このように有難いお稲荷さまの御神徳は商売繁昌福徳円満の神として常に多くの皆さまの信仰をあおいでおりますので、御参拝される方々の崇敬と信仰により長くお守りすることを願ふものです。(覚宗稲荷講の境内掲示より)

境内掲示による覚宗稲荷神社の由緒

覚宗寺。
境内年貢地。2段9畝。村の中央にあり。村内浄牧院の末。本堂3間半に6間南向。本尊薬師木の坐像にて長1尺許り。開山は詳ならず。
稲荷社。本堂に向て左の方にあり。小祠東向。鳥居あり。(新編武蔵風土記稿より)

東久留米市史による覚宗稲荷神社の由緒

門前村には、江戸時代に覚宗寺と呼ばれる浄牧院の末寺があったが、その覚宗寺の稲荷社だけが現存している。覚宗寺については、『新編武蔵風土記稿』にも記されているので、文化・文政期には存在していたことになるが、いつ廃寺となったかは、本寺の浄牧院にも史料がなく明らかではない。恐らく、江戸時代末期のころであろう。
『新編武蔵風土記稿』には、覚宗寺の項に、
稲荷社 本堂に向て左の方にあり、小祠東向、鳥居あり
とある。現在、稲荷社の社殿は、門前の十字路の通りに面して、西向きとなっているが、もとはその裏手にあった覚宗寺に向いて東向きに建てられていたものである。
現社殿は新しいもので、中には白狐にまたがった神像が祭られている。(新編武蔵風土記稿より)


覚宗稲荷神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東久留米市史