子ノ神社|東久留米市小山の神社、小山村鎮守

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子ノ神社|領主矢部藤九郎が小山村鎮守として地蔵尊を勧請

子ノ神社の概要

子ノ神社は、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎が小山村鎮守として地蔵尊を勧請したと伝えられます。字稲荷山(当村南方)、字西原(当村西方)、字大堂(当村北方)を明治11年(1878)8月境内末社として合祀しています。

子ノ神社
子ノ神社の概要
社号 子ノ神社
祭神 大国主命
相殿 -
境内社 稲荷神社、津島神社
住所 東久留米市小山1-14-25
祭日 祈年祭2月20日、例大祭10月2日、新嘗祭11月20日
備考 小山村鎮守、南沢氷川神社の兼務社



子ノ神社の由緒

子ノ神社は、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎が小山村鎮守として地蔵尊を勧請したと伝えられます。字稲荷山(当村南方)、字西原(当村西方)、字大堂(当村北方)を明治11年(1878)8月境内末社として合祀しています。

新編武蔵風土記稿による子ノ神社の由緒

子之神社
除地、1町5段。村の中央にあり。社3尺四方。上屋2間四方南向。拝殿3間に2間。神体白幣、本地佛は地蔵銅の立像なり、長5寸許。前に鳥居あり。社地、槻杉雑樹等繁茂せり。当村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)

子ノ神社境内掲示による子ノ神社の由緒

当社は、小山村の鎮守にして、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられ、除地1町5段(4500坪)を有し、社地には槻・杉雑樹など繁茂していたといわれる。拝殿は文政元年(1818)10月建立し、後明治4年(1871)8月、明治42年(1909)5月等数回に亘り修築がなされた。
神社名はもと「根神明神」と称したが、後世にいたり十二支の子を用い「子ノ神社」と変更された。子は大黒天の神使いであり、縁日を甲子祭として子の日を選ぶなどの故事から習合されたものと思われる。祭神大国主命は出雲大社の祭神と同一神にして国土開発の神であると共に、縁結び・子孫繁栄・五穀豊穣の神とされている。
創立者矢部氏は相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていたが、徳川時代の始め、300石を賜り小山村の地頭となった。神社の西方畑地にその屋敷跡があったという。後、寛文5年(1665)2月死去し江戸牛込多聞院に葬られたといわれる。
氏子によって奉納される神田流の「おはやし」は、昭和42年3月市の無形文化財に指定されている。
境内末社
稲荷神社
保食神を祀り元和年間(江戸初期)字稲荷山(当村南方)、字西原(当村西方)、字大堂(当村北方)にそれぞれ創立された三社は、明治11年(1878)8月境内末社として合祀された。毎年2月初午を祭日とする。
津島神社
牛頭天王を祀り毎年7月27日を祭日とする。(子ノ神社境内掲示より)


子ノ神社所蔵の文化財

  • 小山囃子(東久留米市無形民俗文化財)

子ノ神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿