南沢氷川神社|南沢獅子舞、南沢村の鎮守、旧村社
南沢氷川神社の概要
南沢氷川神社の創建年代は不詳ですが、古くから水の神として奉斎されていたと推定されています。承応3年(1654年)に社殿が再興、江戸時代には南沢村の鎮守として崇敬され、南沢獅子舞は現在も伝承されています。明治初年村社に列格し、現在は近郷の数多くの神職を兼務しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男命、櫛稲田姫命、大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | 大神宮、稲荷神社、八雲神社、稲荷神社 |
住所 | 東久留米市南沢3-5-8 |
祭日 | 夏越大祓6月30日、夏祭7月15日、秋祭10月15日、等 |
備考 | 南沢村の鎮守、村社 |
南沢氷川神社の由緒
南沢氷川神社の創建年代は不詳ですが、古くから水の神として奉斎されていたと推定されています。承応3年(1654年)に社殿が再興、江戸時代には南沢村の鎮守として崇敬され、南沢獅子舞は現在も伝承されています。明治初年村社に列格し、現在は近郷の数多くの神職を兼務しています。
新編武蔵風土記稿による南沢氷川神社の由緒
太神宮氷川稲荷合社
除地2段5畝、西の方にあり。上屋3間半に2間。中に1間四方の祠を置。南向。社内に長き石あり。是を神体とす。前に鳥居をたつ。村内の鎮守。例祭9月15日、承応3年の棟札あり。裏に寄進蜂屋半之丞、神谷與七郎、久世大和守をよび、武州多摩郡南沢村田無村入間村下新井村総氏子中云々とあり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による南沢氷川神社の由緒
当社は落合川上流「沢頭」湧水群のある自然緑地に鎮座し、古くより水の神として奉斎されていたが、部落の開発に伴い、出雲国薮の川の故事にならい、河川を疎通、社殿を建立して氷川大明神と称した。創立年代不詳なるも、現存の棟札によれば、承応3年2月25日神主栗原宋女輔、久世大和守、地頭神谷与七郎、仝峰屋半之丞、南沢村、田無村、入間村、下新井村総氏子中とあり広範囲の氏子信徒により再建された社である。
現社殿は昭和46年9月新築された。
祭神須佐之男命は出雲の男神で、その荒魂は破邪顕正の威力を発揮したまい除災招福、疫病退散、殖産新興の信仰がある。
春季例祭4月8日、秋季例祭10月15日(北多摩神道青年会掲示より)
南沢氷川神社の兼務社
南沢氷川神社所蔵の文化財
- 上棟札1枚(東久留米市指定文化財)
- 加藤清正虎退治絵馬(東久留米市指定文化財)
- 南沢獅子舞(東久留米市指定無形民俗文化財)
上棟札1枚
上棟札1枚(東久留米市指定文化財)
承応3年(1654)2月社殿再建の棟札で「新編武蔵風土記稿」に登載されています。
加藤清正退治絵馬文政4年(1821)8月奉納(東久留米市指定文化財)
東久留米市内では年記の明確な最も古い絵馬。美術的にもすぐれ、江戸時代の文化を知る上で貴重なものです。
南沢獅子舞(東久留米市指定無形民俗文化財)
江戸時代より南沢に居住する氏子の長男に伝えて来た芸能で、五穀豊穣の年に行い、神に感謝の舞を奉納し祝う祭であります。
獅子頭は「竜頭」で、特に勇壮な態は近在に見られないものがあり、笛や太鼓に合せ、女獅子を廻って二頭の男獅子が踊り狂う場面があります。獅子舞の外に、山の神、太刀使、世流布、神楽、万歳などが加わって賑わいを呈します。
神社で歌う獅子歌に次の歌があります。
此の獅子は伊勢で生れて江戸そだち
腰に刺したる伊勢のお被い
千早振る神の囲垣に松を植え
松諸ともに氏子繁昌(東久留米市教育委員会掲示より)
南沢氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿