下里氷川神社|長禄年間に再建、下里村の鎮守
下里氷川神社の概要
下里氷川神社は、東久留米市下里にある氷川神社です。下里氷川神社の創建年代は不詳ながら、長禄年間(1457-59)に再建したといい、下里村の鎮守社だったといいます。明治10年村社に列格、昭和45年白山神社を合祀したといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男命、櫛稲田姫命、大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | 下里招魂社、白山神社、妙義神社、榛名神社、御嶽神社、富士浅間神社、秋葉神社、八雲神社 |
住所 | 東久留米市下里2-9-32 |
祭日 | 9月15日 |
備考 | 下里村の鎮守、旧村社 |
下里氷川神社の由緒
下里氷川神社の創建年代は不詳ながら、長禄年間(1457-59)に再建したといい、下里村の鎮守社だったといいます。明治10年村社に列格、昭和45年白山神社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による下里氷川神社の由緒
(下里村)氷川社
社地690坪、免畑5段7畝18歩。小名本村にあり。社3尺四方。拝殿3間に2間、東に向ふ。前に鳥居をたつ。例祭9月15日。村内の鎮守、神宮寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による下里氷川神社の由緒
縁起創立年月は不詳であるが、長禄年間(一四五七-六〇)再建されたものと伝えられる。古くは旧神宮寺が別当寺で神仏分離により所管替えとなった(東京都神社名鑑より)
東久留米市史による下里氷川神社の由緒
氷川神社の別当寺は、神宮寺であったが、この神宮寺は、明治維新に大円寺に合併されて廃寺となった。翌明治二年、神宮寺の住職誠心が品川県の役所へ差し出した「神社書上帳」には
一、氷川神社、鎮守建立年月日相分不申候、毎年九月十五日祭礼仕り候、先前別当天台宗神宮寺誠心に御座候処今般御一新に復飾奉願上御聞済の上、飯田要人と改名仕り、右切口を勤め申し候
と述べ、誠心は飯田要人と改名して氷川神社の宮司となることを届け出ている。当社の創建については、長禄年間(一四五七-五九)に再建したことになっているので(『社寺調書』明治九年による)、それより古いことになるが明らかではない。
現社殿は、拝殿、幣殿、本殿覆屋とも昭和四五年に再建したものであるが、本殿は、一間社流造り、見世棚造りで、向拝虹梁の中備には龍の彫り物を入れ、頭貫端部を象鼻とし、全体に朱を塗り、彫り物は青、緑の彩色仕上げをした、江戸時代末期のものである。
境内には、稲荷社、浅間社、第六天社があり、昭和四五年には、下里村にあった白山神社も合祀されている。(東久留米市史より)
下里氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 東久留米市史