普門山大円寺|東久留米市小山にある天台宗寺院

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普門山大円寺|東久留米七福神の恵比寿尊、福禄寿尊、寿老尊

大円寺の概要

天台宗寺院の大円寺は、普門山三皇院と号します。大円寺の創建年代は不詳ですが、天長年間(824-834)慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。明治維新後、小山村内にあった末寺等を合併しています。東久留米七福神の恵比寿尊、福禄寿尊、寿老尊が山門に安置されています。

大円寺
大円寺の概要
山号 普門山
院号 三皇院
寺号 大円寺
住所 東久留米市小山2-10-1
本尊 不動明王
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 東久留米七福神の毘沙門天、境外墓地:小山4-7



大円寺の縁起

大円寺の創建年代は不詳ながら、天長年間(824-834)慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。明治維新後、小山村内にあった同宗寺院を合併しています。

新編武蔵風土記稿による大円寺の縁起

大円寺
除地、9段9畝。村の中央にあり。天台宗にて入間郡古尾谷村灌頂院の末山なり。普門山三皇院と号す。本堂8間に6間半、南に向ふ。本尊弥陀木の坐像にて長1尺5寸許。開山詳ならず。
不動院
除地、1段8分。村の西によりてあり。是も天台宗にて同寺の門徒なり。明王山と号す。本堂7間に4間。南に向ふ。本尊不動は木の坐像にて長1尺許。開山詳ならず。
薬師堂
除地、6畝7分。村の中央にあり。堂2間半に4間。東に向ふ。本尊は木の立像にて長1尺許。不動院の持。
観音堂
除地、250坪。村の中央より少しく南によりてあり。堂2間四方西向。観音は木の坐像にて長1尺許。是も不動院の持なり。
(新編武蔵風土記稿より)

東久留米市史による大円寺の縁起

大円寺は天台宗の寺院で、曹洞宗の浄牧院、真言宗の多聞寺と並び、市内の古刹である。
江戸時代、本市内の村には天台宗寺院が多く栄えていたが、近代、大正初めにはこの大円寺と宝泉寺の二ケ寺となった。大円寺は、宝泉寺と同じく、入間郡古尾谷村の灌頂院の末寺であるが、その末寺には、延命寺(天保六年、一八五三、大円寺に併合)、観音寺(大正三年大円寺に合併)があった。また大円寺の末寺には、神宮寺(明治維新に大円寺に合併)、不動院(明治四三年ごろ大円寺に合併)があり、さらに不動院持として、薬師堂、観音堂があった。合併されて廃寺となったこれらの天台寺院の資料はほとんど大円寺に収められている。
大円寺は、普門山三皇院と号し、現住職は六〇世の古きを数えるが、「開山は詳ならず」 (『新編武蔵風土記稿』)で、江戸時代以降のことしか明らかではない。
境内の建物は、本堂を中心に、庫裡、山門、観音堂(旧不動院持、大正初期に大円寺に移築)、穀櫃(弘化二年、一八四五、下里村にあったもの)があり、北西に墓地がある。
昭和三三年本堂を茅葺から瓦茸に改めた際、棟札が発見され、明和二年(一七六五)に建立されたことがわかった。八間半に六間半の方丈系六ツ間取りで、手前の一間が、幅七.五尺の広縁で、身舎柱の柱は六寸角で太く、間仕切りの差し鴨居の絵様や欄間の透し彫りも江戸中期の特徴をよくとどめている。玄関の式台構えは、弘化三年(一八四六)に建て替えられたものである(同寺蔵文書による)。
観音堂は、もと二間四方であったが、当寺に移されてから、背部を半間拡張して、仏壇を設けた。正面の虹梁絵様や中備の蟇股の形式からみて、江戸末期に再建されたものである。(東久留米市史より)


大円寺所蔵の文化財

  • 庚申塔(東久留米市指定文化財)
  • 馬頭観音塔(東久留米市指定文化財)
  • 石橋供養塔と力石(東久留米市指定文化財)
  • 薬師三尊と十二神将

庚申塔

庚申信仰は、60日ごとの庚申の日の夜に眠っている人の体から三尸の虫が脱け出て、その人の罪を天帝に報告するという道教の思想からきたとされています。人々は庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしました。この庚申塔は延享3年(1746)の造立です。(東久留米市教育委員会掲示より)

馬頭観音塔

馬の供養や無病息災、交通安全を願って天保9年(1838)に造られた馬頭観音塔です。もとは旧下里村の秩父道(所沢街道)沿いにあったものです。左側面に「東いたはし五里、西八わうし五里、江戸四つ谷五里、北川ご絵五里」と刻まれていることから、五里五里馬頭と呼ばれて親しまれています。(東久留米市教育委員会掲示より)

石橋供養塔と力石

石橋供養塔と力石は、もと薬師堂のあった東久留米市小山4-1にあります。

黒目川に架けた昔の中橋(すぐ左の橋)、曲橋(ひとつ下流)、落葉橋(ひとつ上流)の三つの石橋を作った時の石橋供養塔で、明治23年(1890)に造立されたものです。
前に並べられた三個の石は力石とよばれ、かつて小山村の若者たちの力くらべに使われたものです。古老の話では、この重い石をもって坂を登って競争したとも言われています。
一番右の大きな石には45貫(約169kg)と、その重さが刻まれています。(東久留米市教育委員会掲示より)

薬師三尊と十二神将

この薬師三尊と十二神将は今の小山生活改善センターが薬師堂であった時の佛様で小山地区の守り本尊でありました。その后センター建設のために当寺観音堂に安置されてをりましたものを大修理をして安置いたしました。
この佛像は1730年代のものと推定されます。(境内掲示より)

大円寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東久留米市史