柳沢氷川神社|昭和17年さいたま市緑区蓮見新田の氷川神社を引宮し再建
柳沢氷川神社の概要
柳沢氷川神社の創建年代は不詳ですが、上保谷村の小名平松を開拓した際に村民が勧請したものと推定されます。大正4年尉殿神社に合祀され廃社となりましたが、昭和17年さいたま市緑区蓮見新田の氷川神社を引宮し再建、昭和59年(1984)榛名社を合祀しました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男命 |
相殿 | 火産霊神、埴山姫神 |
境内社 | 榛名社 |
住所 | 西東京市東伏見2-6-13 |
祭日 | 例大祭10月15日 |
備考 | 田無神社の兼務社 |
柳沢氷川神社の由緒
柳沢氷川神社の創建年代は不詳ですが、上保谷村の小名平松を開拓した際に村民が勧請したものと推定されます。大正4年尉殿神社に合祀され廃社となりましたが、昭和17年さいたま市緑区蓮見新田の氷川神社を引宮し再建、昭和59年(1984)榛名社を合祀しました。
新編武蔵風土記稿による柳沢氷川神社の由緒
(上保谷村)榛名権現社
小名平松にあり。村民の持。(新編武蔵風土記稿より)
柳沢氷川神社所蔵の文化財
- 榛名大権現石造物群(西東京市指定文化財)
榛名大権現石造物群
文化4年(1807)造立、浄水盤
文政2年(1819)造立、榛名大権現笠付塔一対
文久2年(1862)造立、榛名大権現礎石
明治元年(1868)維新政府は神仏分離を発令すると、神道による国民教化を目的として古代の神祇官にならい、伊勢神宮を筆頭に由緒の神社を官幣各社から郷村杜、無格社等と格付けして神社の統治を図りました。明治40年(1907)にいたると政府は、神道国教化を徹底するため、村段階では一村一村杜を標準にして他を村社に合祀せよと定め、実質的には神社整理を断行しました。
このとき旧上保谷村下柳沢集落の鎮守であった榛名神社は、無格社として村杜に指定された尉殿神社に合祀される対象となりました。以来氏子をあげて十年間の果敢な反対運動を行いましたが、国家神道にまで強化された政府の宗教政策には抗すべくもなく、大正4年(1915)ついに合祀となりました。その後昭和17年(1942)埼玉県浦和市蓮見新田の村杜を引宮したのが現在の氷川神社です。境内「社殿改修記念碑」の碑文のとおり、相殿ながら榛名の神は昭和59年(1984)ようやく故地に戻りました。その長い由緒を伝える丈化財が榛名大権現石造物群です。(西東京市教育委員会掲示より)
柳沢氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿