福泉寺|西東京市下保谷にある日蓮宗寺院

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

保谷山福泉寺|木彫彩色三十番神神像

福泉寺の概要

日蓮宗寺院の福泉寺は、保谷山と号します。創建年代は不詳ですが、僧日眼(大徳年間遷化、元の元号か?1297-1307)による開山と伝えられます。

福泉寺
福泉寺の概要
山号 保谷山
院号 -
寺号 福泉寺
住所 西東京市下保谷3-11-17
本尊 三宝祖師像
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 もと三十番神社(現下保谷天神社)の別当寺



福泉寺の縁起

福泉寺の創建年代は不詳ですが、日眼(大徳年間遷化、元の元号か?1297-1307)による開山と伝えられます。

新編武蔵風土記稿による福泉寺の縁起

福泉寺
境内除地2畝余。法華宗、本郡小榑村妙福寺の末、保谷山妙解院と号す。当寺の過去帳に、開祖日眼大徳11日遷化と記したれど、古き過去帳は安永5年(1777)の回緑に烏有となれば、開祖遷化の年代を失するよし。其頃は第25世日透代なると云ときは、旧き創建なるべし。
本堂6間に4間、本尊宗祖菩薩(丈ヶ尺許の坐像、中山法華経寺2世日高上人作)又鬼子母神、荒神等の像あり。(新編武蔵風土記稿より)


福泉寺所蔵の文化財

  • 木彫彩色三十番神神像

木彫彩色三十番神神像

木彫彩色三十番神神像は、旧下保谷村の鎮守社だった三十番神(現下保谷天神社)に祀られていたもので、明治維新の神仏分離令により当寺に安置されています。

三十番神は、およそ天正期(1573~92)の頃から江戸時代の終わりまで、旧下保谷村の鎮守社(現下保谷天神社)でした。古くは神名を墨書した掛軸を御神体としていましたが、江戸時代の後半、この様式の神像に替えて祀られ、今日に伝存しました。当時村びとのほとんどが日蓮宗の信徒であったことから、日蓮宗が独自の守護神として崇敬する三十番神を村鎮守として勧請し、敬虔な番神講(御奉射)などを継承して、村の平穏を祈りました。
この神は古来の神々の中から善神三十柱を選んで、それらの善神が一か月三十日間、毎日番代りに村を守護すると考える信仰から生れており、その神像は女神を含むそれぞれ特徴を特った、木彫彩色の小像三十体として表現され、厨子内神殿の雛壇に並んでいます。
神仏分離を布告した明治維新政府によって、番神の中に天照大神を配するなどの理由をもとに、その信仰が禁止されたため、以後は現在の下保谷天神社に代わりました。この神像が福泉寺に現存するのは、維新以前の神仏習合時代に、この寺が鎮守三十番神の別当寺であったためです。(西東京市教育委員会掲示より)

福泉寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿