久米川白山神社|東村山市久米川町の神社
久米川白山神社の概要
久米川白山神社は、東村山市久米川町にある神社です。白山神社の創建年代等は不詳ながら、この近辺三ヵ所に白山権現が鎮座していたところ、延享元年(1744)当地に合祀下と伝えられます。また、古碑至徳3年(1386)・延文2年(1357)・嘉吉3年(1443)銘の古碑があったことや、当地が鎌倉海道に面していたことなどから、創建は中世に遡るのではないかともいいます。また境内の牛頭天王社は、文政2年(1819)に北久保忠蔵という人が願主となって造立したもので、当地に遷され安置されています。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 伊弉岐尊 |
相殿 | - |
境内社 | 牛頭天王、稲荷社 |
住所 | 東村山市久米川町4-41-2 |
祭日 | - |
備考 | 秋津氷川神社の兼務社 |
久米川白山神社の由緒
白山神社の創建年代等は不詳ながら、この近辺三ヵ所に白山権現が鎮座していたところ、延享元年(1744)当地に合祀下と伝えられます。また、古碑至徳3年(1386)・延文2年(1357)・嘉吉3年(1443)銘の古碑があったことや、当地が鎌倉海道に面していたことなどから、創建は中世に遡るのではないかともいいます。
新編武蔵風土記稿による白山神社の由緒
(久米川村)
該当なし(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による白山神社の由緒
不詳。(北多摩神社誌より)
「東村山市史」による白山神社の由緒
白山神社
久米川町四丁目所在。祭神は伊弉岐尊。境内社に牛頭天王(素戔嗚尊)と稲荷神社(倉稲魂命)を祀る。現在は、南面する本殿に二〇〇坪ほどの小さな境内であるが、明治四年の図面では、南北四六間、東西一〇間の、細長いが広い境内地をもっていた。前市史によれば、「古老の言い伝えとして、古くこの近辺に三ヶ所の白山権現が存していたのを、一七四四年(延享元)六月に至って現在の地に合祀したということである。」とあるが、『狭山の栞』には「同所後に古碑七基あり、至徳三年、延文二年、嘉吉三年・・・」とあり、鎌倉街道に面していることと合わせ、その創建は中世までさかのぼる可能性がある。
例大祭は一〇月九日である。
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牛頭天王
白山神社の境内の仮堂に安置されている。高さ七〇センチメートルの丸彫りの坐像で、右手に斧、左手に索(綱)を持っていたと言われている。胸部には「信心者/当病除」と文字が彫られている。台石の銘文によると、一八一九年(文政二)に北久保忠蔵という人が願主となって、村内安全を願って造立したと刻まれている。 (「東村山市史」より)
久米川白山神社所蔵の文化財
- 白山神社の牛頭天王像(東村山市指定有形民俗文化財)
白山神社の牛頭天王像
牛頭天王は頭に牛頭をいただいた像で、通称は「天王さま」として知られ、素盞鳴尊を同体とされています。疫病除けの神として知られていますが、家内繁栄や招福の神としても信仰されました。
この白山神社の牛頭天王像は高さ67cm程ですが、石造丸彫座像としては極めて珍しく、武蔵野地域には類をみない優れた忿怒相の石仏です。
胸には「信心者 当病除」と造立者の願いが彫られ、また台石には「村内安全」の文字とともに文政2年(1819)に北久保忠蔵が願主となって造立したことが刻まれています。 地域の言い伝えによると、この像はもともと白山神社にあったものではなく、明治の初め頃に井戸の中から発見されたそうですが、願主の北久保忠蔵の名は近くの「普門品供養塔」にもみえており、当時のこの地域の有力者であったようです。(東村山市教育委員会掲示より)
久米川白山神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
- 「東村山市史」