慶性院|多摩八十八ヶ所霊場
慶性院の概要、奥多摩新四国霊場
真言宗豊山派寺院の慶性院は、白部山醫王寺と号します。慶性院は、承秀(慶長6年1602年寂)が開山となり創建したといいます。多摩八十八ヶ所霊場41番、奥多摩新四国霊場78番です。
山号 | 白部山 |
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院号 | 慶性院 |
寺号 | 醫王寺 |
住所 | 東大和市芋窪6-1353 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慶性院の縁起
慶性院は、承秀(慶長6年1602年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による慶性院の縁起
(芋久保村)醫王寺
除地、五畝十八歩、字石川にあり、白部山慶性院と號す、これも同寺(中藤村真福寺)の末、開山承秀慶長六年十一月二十八日寂せり、本堂五間に八間南向、本尊薬師木の立像長一尺六寸、行基の作を置り、鐘楼に鐘を掛たれども、正徳年中の新鋳なり、ことに考證とすべきことなければ、銘文はとらず。(新編武蔵風土記稿より)
慶性院所蔵の文化財
- 慶性院の水天像(東大和市重宝)
慶性院の水天像
この水天像は、慶性院の第十九世住職円鏡法印慈賢が、江戸時代末期に建立したものである。
水天は、世界を守護する十二天の一つで、水難除けや雨乞いの祈願の対象となるため、池や川のほとりに建てられる例が多い。この像は大正十一年(一九二二年)、村山貯水池建設に伴って寺が移転した際、現在地に移されたものである。
水天像は、全国的にも例が少なく、都内に存在する三基のうちの一基で、きわめて貴重な彫像である。(東大和市教育委員会掲示より)
慶性院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿