天王山雲性寺|旗本石川太郎右衛門家の墓、狭山三十三観音霊場
雲性寺の概要
真言宗豊山派寺院の雲性寺は、天王山観音院と号します。雲性寺の創建年代等は不詳ながら、当地の地頭職を務めていた旗本石川太郎右衛門家代々の墓があったといいます。狭山三十三観音霊場18番です。
山号 | 天王山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 雲性寺 |
住所 | 東大和市奈良橋1-363 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
雲性寺の縁起
雲性寺の創建年代等は不詳ながら、当地の地頭職を務めていた旗本石川太郎右衛門家代々の墓があったといいます。
新編武蔵風土記稿による雲性寺の縁起
(奈良橋村)雲性寺
除地、二段五畝、村の北山麓にあり、天王山観音院と號す、新義真言宗、中藤村真福寺の末、開山開基の人を傳へず、本堂五間に七間南向、本尊彌陀木の坐像一尺六寸を安せり、境内には此所の地頭石川太郎右衛門代々の墳墓あり。
観音堂。門を入て右にあり、二間四方、観音は十一面木の坐像一尺二寸許なり。
天王社。境内後背の山の中腹にあり、則村内の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による雲性寺の縁起
この雲性寺は、狭山三十三観音霊場の十八番目の札所である。
霊場は、狭山丘陵周辺に点在するが、一説には天明八年(一七八八)に創設されたと言われている。
観音巡りは、一人の人間としての安らぎを求めるためのもので、明治の中期ごろまで盛んであった。
本尊は、十一面観世音菩薩で、長さ一尺二寸(約三十六センチメートル)の坐像が安置されている。
(雲性寺詠歌)ひたすらに 助け給えや観世音 夢の此の世も 亦後の世も(ふるさとふれあい振興事業掲示より)
雲性寺所蔵の文化財
- 庚申塔(阿字庚申)(東大和市郷土資料)
庚申塔(阿字庚申)
この庚申塔は、上部に八葉の蓮華を座とした月輪を浮彫し、その月輪の中に梵字「ア」字を陰刻したもので、「阿字庚申」と名付けられている。庚申講中が造立した庚申塔とはその趣を異にする市内唯一の稀れな塔である。
下部の三猿も、中央前向、左右横向に浮彫されており、めずらしい三猿配置である。
塔の裏面に、正徳六丙申三月、法印伝栄と陰刻されている。
現在、庚申塔は本堂に安置されているが、その台座は現在もその位置にある。(東大和市教育委員会掲示より)
雲性寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿