福生神明社|明治7年旧福生村内の五柱を合祀
福生神明社の概要
福生神明社は、福生市福生にある神社です。福生神明社の創建年代は不詳ながら、明治7年旧福生村内の五柱を合祀したといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照皇大神、伊邪那岐神、伊邪那美神、禰津波能売神、豊宇気比売神、大山咋神、菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲神社、稲荷神社 |
住所 | 福生市福生1081 |
祭日 | 例祭日9月19日 |
備考 | - |
福生神明社の由緒
福生神明社の創建年代は不詳ながら、明治7年旧福生村内の五柱を合祀したといいます。
東京都神社名鑑による福生神明社の由緒
古来、清の正と呼ばれた社に、伊邪那岐、伊邪那美神を祭神として旧福生地域の神明社を中心に、明治七年各部落の五柱の神々を合配した神社である。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による福生神明社の由緒
(福生村)
天神社
社地、村除、九尺四方の覆屋なり、村の西にあり、村内寳蔵院持。
神明社
年貢地、十二歩、二間四方の覆屋、是も同寺(寳蔵院)の持。
兩體権現社
社地、村除、三間四方の覆屋せり、小名長澤にあり、祭神伊弉諾伊弉冉の兩尊なり、村持。
關上明神社
年貢地、十歩、二間四方の覆屋せり、多磨川岸に臨てあり、村持、土人の話に昔洪水の時神體いづれよりか漂ひ来りしを、村民古堰の上にて得たりしに、堰は關と訓同じければとて、關上明神と崇めしといふ、其像長五寸許、妙見の形状に似たり。
陵明神社
小社、小名宿にあり、村民の持、昔年多磨川上水の新堀開鑿の時、土中より銅佛、并せて長き石を得たり、俗に傘石と云よし、平将門を祭るの文をえれり、故にかく云、後その銅佛を失ふて今は石のみあり。
神明宮
社地、村除、九尺四方の覆屋、小名中福生にあり。
熊野山王稲荷三社合殿
社地、村除、九尺四方の覆屋、小名萱戸に在。
浅間社
小名牛濱にあり。
稲荷社
小名原ヶ谷戸にあり、共に小社、以上孰も村持。(新編武蔵風土記稿より)
福生神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿