高倉塚古墳|高倉古墳群の一つ
高倉塚古墳の概要
高倉塚古墳は、府中市分梅町にある名所旧跡です。高倉塚古墳は、府中崖線周辺に25基ある高倉古墳群の一つで、古来から高倉塚と呼ばれてきたといいます。「高倉」に関しては、「天応元年(781)高倉福信遷弾正尹兼武蔵守」と、奈良時代の武蔵守で国分寺を造立した高倉福信との関連を新編武蔵風土記稿では記しています。
名称 | 高倉塚古墳 |
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みどころ | 市指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 府中市分梅町1-11 |
備考 | - |
高倉塚古墳の由緒
高倉塚古墳は、府中崖線周辺に25基ある高倉古墳群の一つで、古来から高倉塚と呼ばれてきたといいます。「高倉」に関しては、「天応元年(781)高倉福信遷弾正尹兼武蔵守」と、奈良時代の武蔵守で国分寺を造立した高倉福信との関連を新編武蔵風土記稿では記しています。
高倉塚古墳について
高倉塚古墳
府中崖線(ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、これまで確認されている古墳が25基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。このうち墳丘が残っているものは4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しています。古来より「高倉塚」と呼ばれ象徴的な存在だったことから中世以降には信仰の対象として保存されてきました。
これまでの発掘調査で、墳丘構築工法が判明し、墳丘下層から6世紀前半とされる土師器坏が出土するなどの学術成果があり、高倉古墳群を研究するうえで貴重な資料となっています。
なお、付近の古墳群からは、土器・直刀・鉄鏃・玉類が出土し、昭和の初め頃に出土した銀象嵌大刀を含む大刀5振は、平成6年2月二市の文化財に指定されています。
国内でも数例しかない上円下方墳の武蔵府中熊野神社古墳など、ぜひこの周辺の古墳を散策してみてください。(府中市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による高倉塚古墳について
(本町)
古戦場項
高倉塚と呼ぶものあり、是古へ國府屯倉の蹟なるべしといへり、今按に天應元年高倉福信遷弾正尹兼武蔵守と見えしことあり、或は福信此府にありて卒し、むくらをここに埋めしも又しるべからず、此の地戦場の事歴已に府中宿の條及番場宿高安寺の條に出せり、幷せて見るべし(新編武蔵風土記稿より)
高倉塚古墳の周辺図