三田氏館跡|中世武家の居館跡
三田氏館跡の概要
三田氏館跡は、国立市谷保にある名所旧跡です。三田氏館跡は、青柳段丘の台地上縁辺にあり「谷保の城山」と称される地で、三田氏の館跡とも、また鎌倉御家人津戸三郎為守の居館跡とも伝えられます。発掘調査は行われていないものの、土塁や堀の跡が残され確認可能で、東京都旧跡に指定されています。
名称 | 三田氏館跡 |
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みどころ | 都指定旧跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 国立市谷保5983-1 |
備考 | - |
三田氏館跡の由緒
三田氏館跡は、青柳段丘の台地上縁辺にあり「谷保の城山」と称される地で、三田氏の館跡とも、また鎌倉御家人津戸三郎為守の居館跡とも伝えられます。発掘調査は行われていないものの、土塁や堀の跡が残され確認可能で、東京都旧跡に指定されています。なお三田氏は、平将門の後裔と称し、青梅を本拠に置き、西多摩から入間郡にかけて支配していた豪族で、後北条氏に敗れて本家は滅亡しています。
東京都教育委員会掲示による三田氏館跡について(東京都指定史跡)
三田氏館跡
多摩川に向かって張り出した青柳段丘の台地上縁辺にある「谷保の城山」は、中世の城館跡であったという伝承があります。この地は、従来から「三田城」あるいは「三田氏館」と呼ばれ、中世三田氏との関連が推測されてきましたが、鎌倉御家人であった津戸三郎為守が城主であったとする史料も存在します。現在、土塁や堀の跡を確認することができますが、発掘調査などが行われておらず、城館の性格や城主などその詳細は不明です。(東京都教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による三田氏館跡について
(上谷保村)舊跡
城跡
村の南にあり、三十間四方の地、周廻に土手あり、又南に續きて少しの土手あり、此地に神明社あり、小社なり、傳へ云ふ、津戸三郎住居の跡なりと、又ここより三丁程を隔て壘跡とおぼしき所あり、櫓臺或は土居の遺跡あり、誰の住蹟と云を得ず。(新編武蔵風土記稿より)
三田氏館跡の周辺図