泉龍寺|昭和2年に本所から当地へ移転
泉龍寺の概要
天台宗寺院の泉龍寺は、医王山高照院と号します。泉龍寺は、僧宗賢が文明4年(1472)に創建、昭和2年に当地へ移転するまで本所にあったといいます。新葛西三十三所観音霊場28番です。
山号 | 医王山 |
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院号 | 高照院 |
寺号 | 泉龍寺 |
住所 | 府中市紅葉丘2-26-1 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
泉龍寺の縁起
泉龍寺は、僧宗賢が文明4年(1472)に創建、昭和2年に当地へ移転するまで本所にあったといいます。
「本所區史」による泉龍寺の縁起
泉龍寺
泉龍寺は番場町二十番地に在り醫光山と號し高照院と稱して天台宗にて浅草寺の末である。文明四年僧宗賢の開基に係る。中興は十三世正諄である。境内に安置した川越地蔵尊は、正保以前まで大川の橋梁整はず僅かに兩國下流の三橋が架つてあつた頃、厩河岸渡船の安穏を祈つて霊験あらたかであつたが、其後久しく當寺に打棄てあったのを明治三十年頃大照僧都(圓明)ここに住職して寺務整理の際記録によって之を發見し、其の師たる上野浄妙院律師山田妙運大和尚に謀り其の援助を得て之を安置したのである。又當寺に安置せる開山祐天大僧正の木像は著名のものである。この寺も震災後昭和二年六月六日付をもって、府下北多摩郡上染谷字尾原に移轉を許可された。(「本所區史」より)
泉龍寺の周辺図
参考資料
- 「本所區史」