妙光院|真如法親王が貞観元年に開山、多摩八十八ヶ所霊場
妙光院の概要
真言宗豊山派寺院の妙光院は、本覚山真如寺と号します。妙光院は、真如法親王が貞観元年(859年)に開山、江戸時代には末寺門徒二十数ヵ寺を擁し、江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領していたといいます。多摩八十八ヶ所霊場23番札所です。
山号 | 本覚山 |
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院号 | 妙光院 |
寺号 | 真如寺 |
本尊 | 延命地蔵菩薩像 |
住所 | 府中市本町1-16-13 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 多摩八十八ヶ所霊場23番 |
妙光院の縁起
妙光院は、真如法親王が貞観元年(859年)に開山、江戸時代には末寺門徒23ヵ寺を擁し、江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領していたといいます。
新編武蔵風土記稿による妙光院の縁起
(本町)妙光院
御殿地の東の方にあり、本覚山真如寺と号す、新義真言宗、京都仁和寺の末、御朱印十五石の寺領を附せらる、末寺門徒凡二十三院を統ふ、本尊地蔵、木の坐像長一尺六寸、胎蔵に行基作の木像ありと云、又木像の不動あり、長一尺三寸立身、弘法大師の作、本尊の側に安す、当院は貞観元年真如法親王の開山にて、二世慈済僧正也と云、後遥かの星霜をへて元享十一年、法印宿源修理を加へしよし、東照宮此邊へ御遊猟の時、屡当山へ駕を寄られしよし、すでに此ほとりに御殿地あり、その頃賜はる所の蜀紅錦の袈裟なりとて今に寺寶とす。大猷院殿も当寺に御入ありて、御筆の黒画を下されしことあり、是も今に秘蔵せり、慶長中官の修復を加へられしことあり、寛永十一年御殿撤収の災に罹りし時、此寺も同く烏有す、其時は御殿興営の余財に白銀五貫を添て再建の料に下されしよし、同十七年工全く竣せり、元禄の頃より官の修造を停られしと云、境内西福寺跡とて除地十五歩の所あり、西福寺は当山の子院なりとぞ、其廃せし年歴をつたへず。
本堂。九間に十三間半西向。
観音堂。門外にあり、三間四方、坂東三十三体を安す。大悲殿の三字を扁す、筆者覚眼。
寮一棟。二間に二間半、観音堂の邊にあり。
鐘楼。九尺四方仁王門の内にあり、天和四年の冶鋳なり。
仁王門。二間半に三間半、仁王長六尺許。
寺寶。
虚空蔵画像一幅。弘法大師の筆なりといふ。
十一面観音画像一幅。筆者同前。
薬師木像一体。上宮太子の彫作と云。
毘沙門一体。作同前、又木像の釈迦あり、是も上宮太子の作といふ。いかにも古色にして最殊勝にみゆ、虫喰あり、或云この釈迦もと国分寺の舊物なりと、国分寺今は当山の末寺なり。
銅磐一倍。天竺より渡し来るものなりと云傳ふれども、その由て来るゆえんをしらず、いかにも寄石にして世にたぐひ希なるものなり、その製蓮華を模して、滅金往々剥落してみゆ、その図右に出せり、竪二寸五分、横八寸余、厚さ五分。(新編武蔵風土記稿より)
妙光院のもと末寺
妙光院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿