諸法山称名寺|六孫王源経基が平将門征伐した際に寄宿した地
称名寺の概要
時宗寺院の称名寺は、諸法山相承院と号します。称名寺の創建年代は不詳ながら、天慶3年(940年)に創建、六孫王源経基が平将門征伐した際に当地に寄宿したといいます。道阿上人一光大和尚が寛元3年(1245)に称名寺として開山、江戸時代には寺領13石8斗の御朱印状を拝領したといいます。
山号 | 諸法山 |
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院号 | 相承院 |
寺号 | 称名寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 府中市宮西町1-9-1 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
称名寺の縁起
称名寺の創建年代は不詳ながら、天慶3年(940年)に創建、六孫王源経基が平将門征伐した際に当地に寄宿したといいます。道阿上人一光大和尚が寛元3年(1245)に称名寺として開山、江戸時代には寺領13石8斗の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による称名寺の縁起
(本町)称名寺
甲州街道の北裏にあり、諸法山相承院と号す、時宗遊行相模国当麻無量光寺末、御朱印十三石八斗の寺領を附せらる、本堂九間に七間半南向、本尊弥陀長二尺八寸許、恵心作、六孫王経基平将門を征伐の時、当院に止宿ありしと云傳ふ、此事誠ならんには、其より以前起立の寺なるべし、然れども外に證左なければ是非をしらず、古へは三井寺の硯学大道寺と唱へしよし、寛元の頃にや称名寺と改めしと寺傳にいへり、什物には古様の太鼓あり、銘に正応二巳丑年冶云々の文字ありて、次に寛永寛保の年歴、并に工人の名氏等を記せり、破壊の後屡修理を加へし者なるべし、又墓所に応永・吉・嘉文安・延文の年号みえし古碑ともあまたあり、是等をみれば何れにも舊蹟なることは推して知るべし、今開山を尋ぬるに一向道阿上人といへるものなりと云、示寂の年月を逸せり。(新編武蔵風土記稿より)
府中市観光協会掲示による称名寺の縁起
時宗称名寺
無住起立天慶三年。有信起立寛元三年。
開山道阿上人一光大和尚は都三井寺の法師にして法然上人の法門に入り、後関東に下り寛元三年此道場に留り昼夜出難の大道を勧め又此道場を改め諸法山相羡院称名寺と号す。寛元四年八月鎌倉より恵信僧都の御作三尊の阿弥陀如来を安置して祀る。
伝うるところによれば当山は六孫王経基が武蔵介であったときの館跡という。現在の本堂は中興五十七世深蓮社入誉上人其阿信老和尚が自ら蚕を飼い基金を作り明治初年に建立された向拝は昭和三十八年新築。
境内の地蔵堂は日限子地蔵尊をまつり、近隣の信仰が非常に厚い当山五十世廓蓮社忍誉上人他阿万的大和尚が念持仏として木造の地蔵尊二体をつくりそれを石地蔵の台座の中にお納めしてある。昭和四十年五月八日現在のコンクリートづくりの御堂に改築した。(府中市観光協会掲示より)
称名寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿