東浅川熊野社|上椚田村小名原の鎮守
東浅川熊野社の概要
東浅川熊野社は、八王子市東浅川町にある神社です。東浅川熊野社の創建年代等は不詳ながら、諸国を行脚の老夫婦が当地地に熊野本宮大社を奉斎したとの伝承があるほか、応安年間の頃(1368)に片倉城主毛利備中守師親が創建したとも言われ、天正元年(1573)には北条陸奥守氏照が再建、上椚田村小名原の鎮守だったといいます。(片倉城主毛利備中守師親は応永年間(1391-1427)に高尾氷川神社を勧請創建しています)
社号 | 熊野社 |
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祭神 | 伊邪那岐命 |
相殿 | - |
境内社 | 天満社、稲荷社 |
住所 | 八王子市東浅川町48-3 |
祭日 | 8月第三日曜日 |
備考 | - |
東浅川熊野社の由緒
東浅川熊野社の創建年代等は不詳ながら、諸国を行脚の老夫婦が当地地に熊野本宮大社を奉斎したとの伝承があるほか、応安年間の頃(1368)に片倉城主毛利備中守師親が創建したとも言われ、天正元年(1573)には北条陸奥守氏照が再建、上椚田村小名原の鎮守だったといいます。(片倉城主毛利備中守師親は応永年間(1391-1427)に高尾氷川神社を勧請創建しています)
新編武蔵風土記稿による東浅川熊野社の由緒
(上椚田村)熊野社
除地、八十歩、小名原にあり、社二尺五寸四方、東に向ふ、二間に三間の上屋を設く、神體は青色の扁石にて長一尺五寸に幅六寸ばかり、これに悉曇を彫しものなり、社前に木の鳥居をたつ、當所の鎮守にて、例祭は年々九月十三日なり、當社は天正元年に勧請の由を云傳ふ、社地に圍一丈二尺許の楢樹、その餘古木蓊鬱たり、村持。
末社。稲荷祠、牛頭天王祠、疱瘡神祠、山王祠。以上の四社ともに小祠にして、白幣を神體とせり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による東浅川熊野社の由緒
創建の年代は詳かでない。往古諸国を行脚の老夫婦が、この地に紀州の熊野本宮大社を奉斎したとの伝承がある。古文書に(現存せず)応安(一三六八)のころ、片倉城主毛利備中守師親が創建したとも伝えられている。天正元年(一五七三)北条陸奥守氏照再建し、元禄四年(一六九一)十月、享保五年(一七二〇)十二月、寛政三年(一七九一)十二月、享和三年(一八〇三)、文化十二年九月、弘化元年(一八四四)九月、嘉永四年(一八五一)九月、十回の修改築を行っている。境内には社前左側の榎は婆母森の神木であり、風邪除け長寿の木として崇敬している。例祭には昭和三十五年市無形文化財の獅子舞が奉納され、湯花の神事を行なう。(東京都神社名鑑より)
境内掲示による東浅川熊野社の由緒
創建の年代は詳らかでない。その昔往古諸国を行脚の老夫婦がこの地に紀州(和歌山県)の熊野本宮大社を奉斎したとの伝承がある。古文書に(現存せず)応安(一三六八)の頃、片倉城主毛利備中守師親が創建したとも言われている。天正元年(一五七三)北条陸奥守氏照再建し、元禄四年十月、享保五年十二月、寛政三年十二月、享和三年一月、文化十二年九月、弘化元年九月、嘉永四年九月、十回の修改築を行っている。例祭には市無形文化財の獅子舞が奉納され、湯花の神事を執う。(境内掲示より)
東浅川熊野社の由緒
- 東浅川熊野社の獅子舞(八王子市指定無形民俗文化財)
東浅川熊野社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑