高尾氷川神社|片倉城主毛利備中守師親が大宮氷川神社を勧請
高尾氷川神社の概要
高尾氷川神社は、八王子市高尾町にある神社です。高尾氷川神社は、応永年間(1391-1427)に片倉城主毛利備中守師親が、武蔵一の宮の氷川神社の祭神を勧請して創建、寛文2年(1663)再建造営・高尾の総鎮守となったといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 八王子市高尾町2258 |
祭日 | 8月第三土日曜日 |
備考 | - |
高尾氷川神社の由緒
高尾氷川神社は、応永年間(1391-1427)に片倉城主毛利備中守師親が、武蔵一の宮の氷川神社の祭神を勧請して創建、寛文2年(1663)再建造営・高尾の総鎮守となったといいます。
新編武蔵風土記稿による高尾氷川神社の由緒
(上椚田村)氷川明神社
除地、一段、高尾山東の麓にあり、當國一ノ宮の神たるを以て、此所にても是を大宮とも稱せり、社六尺四方、東に向ふ、覆屋二間に三間、その前に二間に六間の拝殿あり、祭神素戔嗚尊にて、本地十一面観音を安ず、其像は直經一尺許の鏡に鑄出たるものなり、社地の入口に鳥居をたつ、そこより數十歩を經て石階二十三級を上りて社前にいたる、四邊は松杉森鬱として神さいし社頭なり、當村の鎮守にして、年々八月朔日を例祭とす、高尾山薬王院の持なり、五石の地を免除せらる、往古は下椚田村小名大牧に鎮りませしを、後こゝに遷せしよし、その年代はいつの比なるや傳を失す。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による高尾氷川神社の由緒
応永年間(一三九一~一四二七)に八王子市片倉町に現存する片倉城主毛利備中守師親が、武蔵一の宮の氷川神社の祭神を勧請。寛文二年(一六六三)七月に再建、高尾の総鎮守となる。明治五年まで狭間部落の獅子舞が五穀豊穣のために奉納され、古くは下椚田大牧椚の坂(現椚田町)あたりに祀られていたと伝えられている。(東京都神社名鑑より)
境内掲示による高尾氷川神社の由緒
応永年間(一三九一~一四二七)に片倉城主毛利備中守師親が、武蔵一の宮の氷川神社の祭神を勧請し、寛文二年(一六六三)七月に再建造営され高尾の総鎮守となりました。現社殿は昭和二十七年八月二十日に新築されました。その後、昭和四十年の台風により御神木がことごとく倒れました。
明治五年から例祭に奉納されている獅子舞の神事は昭和三十五年に市の無形文化財に指定されました。
御祭神である素戔嗚尊は、生贄にされそうだった奇稲田姫命を櫛に変えて髪に挿し八岐大蛇を退治、後にお妃にお迎えになったそうです。縁結び・五穀豊穣のご神徳ありと伝えられています。(公益社団法人八王子観光協会掲示より)
高尾氷川神社所蔵の文化財
- 氷川神社の獅子舞(八王子市指定無形民俗文化財)
氷川神社の獅子舞
獅子または龍と呼ばれる面をかぶり、三人一組で舞を舞う三匹獅子舞は、現在、八王子で8か所、舞を伝えています。
その中のひとつ、氷川神社の獅子舞は明治4年(1871)行政区画の変更により、狭間の獅子舞から分かれ、現在も五穀豊穣、天下泰平を祈願して、奉納されています。
獅子舞は、8月の第3土日の土曜日には東浅川町の熊野神社で舞が奉納され、翌日曜日には氷川神社で舞が奉納されます。
氷川神社の獅子舞は昭和35年(1960)には市内の他の獅子舞とともに八王子市の無形民俗文化財に指定されました。(公益社団法人八王子観光協会掲示より)
高尾氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑