八王子神社|延喜16年(916)勧請、八王子権現
八王子神社の概要
八王子神社は、八王子市元八王子町にある神社です。八王子神社は、深沢山(八王子城)で修行していた妙高和尚が、(比叡山の地主神である)牛頭天王八王子權現の告により延喜16年(916)勧請、地名八王子の起源となった社です。天正六年(一五七八)北条氏照築城にあたり城の守護神として尊敬したものの、八王子城落城に伴い焼失、元禄年間(1688-1704)伊勢今泉の人鉄山無心が再建したといいます。境内社の横地社は、八王子城の本丸を守っていた横田監物を祀る社で、落ち延びた地奥多摩町で祀られていたものの、ダム建設に伴い当地へ移されたものだといいます。
社号 | 八王子神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊、八王子神 |
相殿 | - |
境内社 | 横地社、御嶽社、稲荷社 |
住所 | 八王子市元八王子町3-2735 |
祭日 | 4月第三土曜日 |
備考 | - |
八王子神社の由緒
八王子神社は、深沢山(八王子城)で修行していた妙高和尚が、(比叡山の地主神である)牛頭天王八王子權現の告により延喜16年(916)勧請、地名八王子の起源となった社です。天正六年(一五七八)北条氏照築城にあたり城の守護神として尊敬したものの、八王子城落城に伴い焼失、元禄年間(1688-1704)伊勢今泉の人鉄山無心が再建したといいます。
新編武蔵風土記稿による八王子神社の由緒
(元八王子村)
八王子權現社
除地、畠六段四歩、城山の中にあり、此山の麓に華嚴ヶ谷と云所あり、相傳ふ延喜十三年の秋、華嚴菩薩・妙行和尚この邊深澤山の麓に住し、この瀧に入て勤行しけるとき、牛頭天王八王子權現の告によりて、同十六年三月十五日當社を勧請し、永くこの地の鎮守とし、寺を起して神護寺と號す、かの寺號通じて神宮寺ともかきしとぞ、後つひにこの邊の地名となり、神宮の寺村と號しけると云、この後天正六年北條陸奥守氏照瀧山の城をこゝに引移しける時、當社を城の守護神と定めける、天正十八年落城のとき、兵火にやかれてよりこのかた、僅に社のかたのみ建て廢せざるばかりのありさまなりしが、年へて後元禄年中勢州今泉の人兒玉氏のもの出家して、此山に住せり、名をば鐡山無心といひしが、此人建立せしもの今の社なりと云、本社は六尺四方にして前に二間に三間の拝殿あり、これも西明寺のもちなり、
猿墓。社の南にあり、相傳ふ無心こゝに幽棲の頃、いかなる故にか一匹の猿日々に来りて山の芋を供せり、かつてつかふること久しかりしが、一日来らざりしより日をへて消息なかりければ、無心いぶかりて山田をたづねけるに、彼猿芋を穿ちかけながら、上の方よりまろびかゝりし石にうたれて、死て有しをあはれみて、埋みし墓なりとぞ(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による八王子神社の由緒
延喜十六年(九一六)三月十五日、深沢山(八王子城)の妙高和尚、修行中、八王子出現の霊夢により社殿造営し、牛頭八王子権現社と称した。天正十六年(一五七八)北条氏照築城にあたり城の守護神として尊敬したが、天正十八年落城の時兵火により社殿焼失し、その後、元禄年間(一六八八~一七〇四)伊勢今泉の人鉄山無心が神像ならびに社殿再建、のち焼失する。現社殿は江戸末期の造営である。またこの社が八王子の市名の起源ともいわれる。境内外は昭和二十六年国の史跡に指定され、都自然公園の指定にもなっている。(東京都神社名鑑より)
八王子神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
関連ページ
参考資料
- 新編武蔵風土記稿