南八幡宮|大檀那小田源太左衛門
南八幡宮の概要
南八幡宮は、八王子市堀之内にある神社です。南八幡宮は、小田源太左衛門が大檀那となり、北条氏の家臣横倉伊予守、井草小田肥後守などと共に寛永6年(1629)に創建、北八幡神社に対して、南八幡宮と称したといいます。
社号 | 南八幡宮 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 秋葉神社 |
住所 | 八王子市堀之内3-29-11 |
祭日 | 8月30日 |
備考 | - |
南八幡宮の由緒
南八幡宮は、小田源太左衛門が大檀那となり、北条氏の家臣横倉伊予守、井草小田肥後守などと共に寛永6年(1629)に創建、北八幡神社に対して、南八幡宮と称したといいます。
新編武蔵風土記稿による南八幡宮の由緒
(堀ノ内村)八幡社
無年貢地、凡百坪、谷戸山にあり、土俗に南八幡と云、寺澤の北八幡に對して唱をわかつなり、棟札の文によるに、寛永六年十月十三日、井草五郎左衛門・横合伊豫などいへるもの、本願主となして、大檀那小田源太左衛門が勧請する所なり、この源太左衛門は、別所村薬師堂の金剛を建立せしものなるべし、本願主の内横合伊豫が子孫は、今も六左衛門とて當村の百姓なり、小社にて覆屋二間半四方、前に鳥居をたつ、大門前二十六間ほど下り、左右に松杉ならびたてり、松木村教福寺のもちなり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による南八幡宮の由緒
小田肥後守定久姓は藤原氏で、もとは小田野といった。北条氏照の家臣で定久の子源左衛門は松木教伏寺を、その一族源左衛門は、蓮生寺鐘楼および仁王像を建立し、なお北条氏の家臣横倉伊予守、井草小田肥後守とともに寛永六年(一六二九)南八幡宮を勧請。現在も引続き小田氏は神社運営に横倉家とともに責任役員に再選され、特に小田家は累代神社の鍵とりと称し、この重責を果されている。(東京都神社名鑑より)
南八幡宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑