加住町神明神社|八王子市加住町の神社
加住町神明神社の概要
加住町神明神社は、八王子市加住町にある神社です。加住町神明神社の創建年代等は不詳ながら、龍源寺記に、「慶長二年(一五九七)八月二四日境内鎮守神明社へ八石五斗の朱印があったと伝えている」と伝えており、永禄年間(1558-1570)に開創した龍源寺の鎮守として勧請されたものと思われます。現龍源寺地にあった松山寺の境内社十二天社を(明治時代後期の神社整理令により)合祀しています。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 天照大御神、国之常立神、豊雲野神、宇比遅邇神、妹須比智邇神、角杙神、妹活杙神、意富斗能地神、妹大斗乃弁神、於母陀流神、妹阿夜詞志古根神、伊邪那岐神、伊邪那美神、木花佐久夜毘売神、大国主神、事代主神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 八王子市加住町2-93 |
祭日 | 例大祭4月15日 |
備考 | - |
加住町神明神社の由緒
加住町神明神社の創建年代等は不詳ながら、龍源寺記に、「慶長二年(一五九七)八月二四日境内鎮守神明社へ八石五斗の朱印があったと伝えている」と伝えており、永禄年間(1558-1570)に開創した龍源寺の鎮守として勧請されたものと思われます。現龍源寺地にあった松山寺の境内社十二天社を(明治時代後期の神社整理令により)合祀しています。
新編武蔵風土記稿による加住町神明神社の由緒
(拝島領大澤村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による加住町神明神社の由緒
創建の年代は詳らかでない。天正十年(一五八二)、寛文三年(一六六三)、明治四十一年、大正九年と四度も修造され、昭和四十一年九月の二十四号台風により社殿倒壊し、氏子九名により、四十七年三月神社有地の一部処分し、五年の歳月をかけ社殿造営する。正和元年(一三一三)の板碑所蔵。(東京都神社名鑑より)
東京都神社名鑑による加住町神明神社の由緒
神明神社
二丁目にある神明神社は北大沢の旧家九軒の神社で、現在は六軒で祀っている。元日、四月十日(今はその近くの日曜日)、十一月二十三日の新嘗祭の年三回集まり、神職が祝詞を上げ、供えたものを下ろして一杯飲む。祭りに人を呼ぶことはない。祭りの際には午前九時か一〇時に集まって神社に登る。酒、塩、米、魚、野菜、果物を供える。
現在の社殿は昭和四十九年(一九七四)ころに建てられたもので、氏子が少ないので金がなく、神社隣りの山を売って造った。神社は山の上にあり、広い所を草刈りをしなくてはならず手入れが大変になっている。(「八王子市史叢書民俗調査報告書 加住の民俗」より)
加住町神明神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑