東中野熊野神社|暦応元年に熊野三社を勧請、中野村の鎮守
東中野熊野神社の概要
東中野熊野神社は、八王子市東中野にある神社です。東中野熊野神社は、土豪万子長が暦応元年(1338)に熊野三社を勧請して創祀、中野村の鎮守社だったといいます。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 泉事解男命、意富加牟都美命 |
相殿 | - |
境内社 | 秋葉神社、大六天社、住吉神社、稲荷神社、山の神神社 |
住所 | 八王子市東中野499 |
祭日 | 8月29日 |
備考 | - |
東中野熊野神社の由緒
東中野熊野神社は、土豪万子長が暦応元年(1338)に熊野三社を勧請して創祀、中野村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による東中野熊野神社の由緒
(中野村)熊野社
無年貢地凡十三間四方、字天野にあり、村の鎮守なり、紀州熊野本宮を勧請せり、本地彌陀木の立像にて、長八寸ばかり、社は宮造にて二間に二間半の覆屋あり、棟札に明暦二年とあり、されど勧請の年代は、猶ふるきことならんといへり、鳥居たてり、兩柱の間一丈ほど、前に石階十七級あり、例祭八月九日下の二社と同日に祭れり。
別當金住院
社の傍にあり、境内は除地なり、熊野山と號す、新義眞言宗にて高幡金剛寺の末寺なり、本尊彌陀木の立像にて、長二尺餘、本堂八間四面南向なり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による東中野熊野神社の由緒
北朝の光明天皇の暦応元年(一三三八)土豪万子長なるもの紀伊国熊野大権現を崇敬し、この地の地勢彼我ともに告示髣髴するゆえに悲願あって、熊野三社を勧請し、黄金の幣帛三本と数多くの財宝を埋め、奉斎した。のちに新宮社・那智社を本宮社に相殿摂社として合祀。神宝の棟札古意図にして二、三葉は判読至難。慶長十一(一六〇六)丙午年十一月二十三日、助成合力に代官山崎兵衛門尉とあり、宮本は金子と書祐と識され、棟札多数収蔵している。(東京都神社名鑑より)
東中野熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑