打越八幡社|鶴岡八幡宮を土入の別当薬王寺の地に勧請
打越八幡社の概要
打越八幡社は、八王子市打越町にある神社です。打越八幡社は、文治2年(1186)鶴岡八幡宮を土入の別当薬王寺の地に勧請して創祀したといいます。慶安2年(1649)社領九石七斗の御朱印状を拝領したといいます。
社号 | 八幡社 |
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祭神 | 誉田別命、素盞嗚尊、天児屋根命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 八王子市打越町1365 |
祭日 | 7月15日、8月の最終土曜日 |
備考 | - |
打越八幡社の由緒
打越八幡社は、文治2年(1186)鶴岡八幡宮を土入の別当薬王寺の地に勧請して創祀したといいます。慶安2年(1649)社領九石七斗の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による打越八幡社の由緒
(打越村)八幡社
小名土入にあり、村内の鎮守なり、小祠上屋二間に三間、八幡の左右に天王春日を配し祀れり、前に鳥居あり、この社は文治二年八月十五日の建立なりと云傳ふ、御朱印社領九石七斗ありと。
別当薬王寺
小名日向にあり、新義真言宗、同郡寺方村寳生寺末、泉海山と號す、開山詳ならず、本尊薬師木の坐像、長八寸許り本堂五間に八間南向なり、八幡の本地弥陀の像あり、秘して見ことを許さず。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による打越八幡社の由緒
文治二年八月(1186)相州(鎌倉市)鶴岡八幡宮を土入の別当薬王寺の地に勧請して祀ったとの伝承がある。天保二年(一六四五)二月十五日代官速水甚左エ門により社殿再建する。慶安二年(一六四九)十月将軍家から九石七斗の社領をうけた。その後延宝三年(一六七五)十月十五日、元禄八年(一六九五)八月と造営し昭和十一年九月に十一日社殿再建した。(境内掲示より)
打越八幡社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿