西蓮寺|八王子市大楽寺町にある真言宗智山派寺院

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涼水山西蓮寺|八王子三十三観音霊場、多摩八十八ヶ所霊場

西蓮寺の概要

真言宗智山派寺院の西蓮寺は、涼水山不動院と号します。西蓮寺は、祐真(寛正2年1461年寂)が永享元年(1429)楢原の浅川北岸に創建したと伝えられ、その後叶谷町へ移転、弘治3年(1557)には小田原北條氏より禁制に関する文書を発行されています。江戸期には幕府より寺領11石2斗の御朱印状を受領、末寺5ヶ寺を擁していましたが、明治維新後にすべて廃寺、又本郷密蔵院及び大楽寺町金屋寺(金谷寺)を合併、明治28年に合併した末寺金屋寺(金谷寺)のあった当地へ移転しました。旧金谷寺の薬師堂は、室町時代末期の建造物とされ、東京都有形文化財に指定され、薬師如来像は関東九十一薬師霊場4番となっています。八王子三十三観音霊場15番(金谷寺)、多摩八十八ヶ所霊場65番です。

西蓮寺
西蓮寺の概要
山号 涼水山
院号 不動院
寺号 西蓮寺
住所 八王子市大楽寺町566
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



西蓮寺の縁起

西蓮寺は、祐真(寛正2年1461年寂)が永享元年(1429)楢原の浅川北岸に創建したと伝えられ、その後叶谷町へ移転、弘治3年(1557)には小田原北條氏より禁制に関する文書を発行されています。江戸期には幕府より寺領11石2斗の御朱印状を受領、末寺5ヶ寺を擁していましたが、明治維新後に5ヶ寺すべて廃寺、又本郷密蔵院及び大楽寺町金屋寺(金谷寺)を合併、明治28年に合併した金屋寺(金谷寺)のあった当地へ移転しました。旧金谷寺の薬師堂は、室町時代末期の建造物とされ、東京都有形文化財に指定され、薬師如来像は関東九十一薬師霊場4番となっています。

新編武蔵風土記稿による西蓮寺の縁起

(下一分方村)
西蓮寺
これも同じ邊にあり、御朱印寺領十一石二斗餘、新義眞言宗、寺方村寶生寺末、華川山不動院と號す、開山開基詳ならず、中興開山祐眞寛正二年二月朔日寂すといへば、是より舊く造立せる事論なし、弘治三年北條氏より賜ひし文書一通を蔵す、其文は左に載す、八王子落城の時、住僧祐覺かしこに焚死すと、委くは本寺の條下に出せり、
寺中之棟別之事、指置畢、不可有相違者也、仍如件、
弘治三年十一月廿七日
八日市場西蓮寺
この村もと八日市と唱へしことは、この文書にてもしるべし、其事の詳なることは前村の條に出せり、本堂十一間四方東向、本尊不動の坐像長一尺七寸、弘法大師の作なり、
鐘樓。本堂の前にあり、五尺四方なり、鐘の大さ二尺四寸、
山王社。小祠、境内の鎮守なり、
辨天堂。九尺四方、弘法大師の作なり、表門を入り一町許を歴て東の方に池あり、この堂はそこにたてり、
聖天堂。辨天の前にあり、九尺四方のねりこめにて、近き頃造立せりとぞ。
(大楽寺村)
金谷寺
除地、三段五畝、小名叶谷にあり、新義眞言宗、郡内寺方村寶生寺末、叶谷山醫王院と號す、山號を見ず帳には叶野と記す、開山開基の事詳ならず、本堂五間半に四間半北向なり、本尊薬師を安ず、
仁王門。二間半に一丈、近比造立せしと云。
本堂の北の方にあり、三間半四面東向なり、本尊薬師は木の坐像にて長一尺二寸許、行基の作なりと云、傍に十二神の像を安す、是は中古新に造りて安せりと云相傳ふ、此堂はいとふるき造立の由口碑に傳れども、其事實を詳にせず、今の堂も天正以前の者なりと云、天正十八年元八王子城責の時、此堂にて上杉勢の兵糧をかしきしとて今も堂中鴨居のとばり、勾薬まで焦りてあり、
觀音堂。薬師堂のならびにあり、九尺四方なり、
辨天社。境内東の方小池の傍にあり、(新編武蔵風土記稿より)

「八王子市史」による西蓮寺の縁起

西蓮寺(下一分方村―大楽寺町五六六)
華川山(現在は涼水山)不動院と号し、本尊不動明王、永享元年(一四二九)祐真(寛正二年 一四六一 二月一日寂)の創立といわれ、その創立の場所は楢原村の浅川北岸であったが、その後今の叶谷町一、一九四番地の地に移り、明治二八年四月今の大楽寺五六六番地所在の金谷寺を合併して、そこに移転したものである。現在の本堂は明治四三年再建されたものであり、境内にある旧金谷寺所属の薬師堂は室町末期の建造物で都重宝であり、昭和三六年一〇月解体復元工事が完成した。また北条家文書(弘治三年 一五五七 一一月二七日)一通が現存する。江戸時代には御朱印一一石二斗を賜わったほどで、末寺五ヵ寺を有した。(「八王子市史」より)


西蓮寺の旧末寺5ヶ寺及び金屋寺(金谷寺)について

金屋寺(大楽寺村)
叶谷山医王院と号し、本尊薬師如来、一名「金谷寺」(宝生寺過去帳・宝生寺門末僧名帳には金屋寺とある)とも称せられている。開山の時期は不明であるが、古く住僧に増傅(元和五年 一六一九 一二月八日寂)の名がみえているからおそらく江戸時代以前の建立で、中興開山は良宥(享保一〇年 一七二五 五月二〇日寂)である。今の大楽寺町五六六番地にあったが、明治二八年四月西蓮寺に合併された。
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(西蓮寺末)宝積院(下一分方村)
井木山(または小原山)と号し、本尊不動明王、開山の時期は不明であるが、古く住僧に覚秀(慶長六年 一六〇一 二月六日寂)の名がみえているから、江戸時代以前の創建であろう。今の四谷町にあったが、明治初期廃寺となった。
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(西蓮寺末)円乗院(下一分方村―諏訪町一〇六)
佛法山浅間寺と号し、本尊聖観音、この寺はおそらく江戸時代初期創建されたものと思われ、現存の観音堂(本堂)の開山は覚安(宝永八年 一七一一 四月二六日寂)である。今の諏訪町一〇六番地にあったが、明治初期廃寺となった。
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(西蓮寺末)大楽寺(大楽寺村)
薬王山玉蔵院と号し、本尊薬師如来、開山の時期は不明であるが、古く住僧に頼覚(文禄三年 一五九四 一〇月一日寂)の名がみえているから、江戸時代以前に建立されたものであろう。今の大楽寺町にあったが、明治初期廃寺となった。
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(西蓮寺末)洞生寺(横川村)
横川山(元禄以前は利主山)と号し、本尊不動明王、開山覚宗(寛文元年 一六六一 一月一五日寂)が元和年中(一六一五~一六二三)創建した。今の横川町にあったが、明治初年廃寺となった。 
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(西蓮寺末)了頓庵(中野村)
本尊地蔵菩隆、開山の時期は不明である。今の中野町上中野にあったが明治初年廃庵となった。
以上の五ヵ寺は西蓮寺の末寺である。(「八王子市史」より)

西蓮寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「八王子市史」