十行山大乗寺|戦国時代、小田原に創建
大乗寺の概要
日蓮宗寺院の大乗寺は、十行山と号します。大乗寺は、十行院日合上人(天正17年1589年寂)が天正5年(1577)小田原竹花町に開山、徳川家康の関東入国に伴い谷中へ移転したといいます。元禄13年(1700)に水戸藩徳川光圀公の要望により京都本圀寺の末から、水戸久昌寺の末となり、久昌寺の江戸觸頭となっていました。元禄17年(1704)寺地が御用地となり駒込白山へ移転、安政の大地震で倒壊した際には、水戸藩の書院を寄進され、本堂を建て直したといいます。昭和20年戦災により焼失、昭和48年に当地へ移転しています。
山号 | 十行山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 大乗寺 |
住所 | 八王子市加住町1-415 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大乗寺の縁起
大乗寺は、十行院日合上人(天正17年1589年寂)が天正5年(1577)小田原竹花町に開山、徳川家康の関東入国に伴い谷中へ移転したといいます。元禄13年(1700)に水戸藩徳川光圀公の要望により京都本圀寺の末から、水戸久昌寺の末となり、久昌寺の江戸觸頭となっていました。元禄17年(1704)寺地が御用地となり駒込白山へ移転、安政の大地震で倒壊した際には、水戸藩の書院を寄進され、本堂を建て直したといいます。(駒込白山への移転は、寛永元年1624年との記載もあり)昭和20年戦災により焼失、昭和48年に当地へ移転しています。なお、当寺が開山した小田原の旧地には、今正山大乗寺が江戸時代初期頃に創建されています。
「小石川區史」による大乗寺の縁起
大乗寺
十行山大乗山。日蓮宗水戸久昌寺末。本尊は十界勸請曼荼羅。開山十行院日合上人(天正十七年四月廿五日寂)が、天正五年相州竹鼻村に開創し、當時は京都本國寺末であつた。徳川氏入國後谷中に移轉し、元禄十三年徳川光圀の希望によつて本國寺より離末し、久昌寺江戸觸頭となり、水戸家の香華院となつた。元禄十七年谷中が御用地になつて現在の地に移つた。教法院、常住院の二坊があり、文政には境内古跡拝領地八百七十三坪餘あつた。現本堂は元水戸藩邸の書院で、安政大地震に本堂が破潰された時寄進されたものだと云ふ。古来祈禱寺として知られ、其鬼子母神は十一代将軍家斉の随身佛といふ。梵鐘は萬治二年の鋳造で、銘は深草元政上人の作である。寺寶には日蓮上人親筆、後陽成天皇宸筆、水戸光圀筆、其他の書畫が多く、又境内には水戸家、仙石家、安藤家、内藤家等、舊大名華族の墓がある。(「小石川區史」より)
大乗寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 「日蓮宗寺院大鑑」