安榮山福傳寺|多摩八十八ヶ所霊場、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所
福傳寺の概要
真言宗智山派寺院の福傳寺は、安榮山明王院と号します。福傳寺の創建年代等は不詳ながら、過去帳に「天文22年(1553)願主権大僧都清榮」との記載があったといい、清榮が開山したのではないかといいます。明治13年近隣にあった清水寺を合併、清水寺境内だった当地へ移転したといいます。多摩八十八ヶ所霊場77番、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所15番、八王子三十三観音霊場30番です。
山号 | 安榮山 |
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院号 | 明王院 |
寺号 | 福傳寺 |
住所 | 八王子市明神町4-10-6 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福傳寺の縁起
福傳寺の創建年代等は不詳ながら、過去帳に「天文22年(1553)願主権大僧都清榮」との記載があったといい、清榮が開山したのではないかといいます。明治13年近隣にあった清水寺を合併、清水寺境内だった当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による福傳寺の縁起
(子安村子安明神社)別當福傳寺
子安社より南の方四五町を隔てあり、ここの地も御朱印六石の内なり、新義真言宗、宇津木村龍光寺の末、安榮山明王院と號す、當寺に傳ふる古き過去帳に、天文廿二年願主権大僧都清榮とあり、もとより開山の名を傳へざれば、もしくはこの清榮など開山ならんか、本堂六間に四間半、本尊不動木の坐像、長二尺餘なるを安置せり。
観音堂。門前にあり、三間四方、本尊十一面観音は聖徳太子の作なり、ここにも元禄十四年建立大檀那石原次春と書したる棟札あり、これをもて見れば、この時はじめて造營なるべし。
(子安村)清水寺
除地、三段八畝十五歩、子安明神の西にあり、新義真言宗、宇津木村龍光寺の末、大木山と號す、開山開基詳ならず、本堂四間半に三間半、本尊勢至坐像、長二尺二寸許なるを安ず。 (新編武蔵風土記稿より)
「八王子市史」による福傳寺の縁起
福伝寺(子安村―明神町三)
安栄山明王院と号し、本尊不動明王、開山の時期は不明であるが、天文年間(一五三二~一五五四)以前の創建で、開山はおそらく賢栄(天文四年 一五三五 一〇月二八日寂)であろうと思われる。本堂は明治初年倒損し、観音堂(元禄一四年 一七〇一 創建)を使用していたが、明治一三年明神町三番地の清水寺を合併し、その地に移転した。旧寺地は今の子安町一一五番地である。
清水寺(子安村)
大木山と号し、本尊勢至菩薩、開山は清承法印(慶長元年 一五九六 八月一八日寂)である。今の明神町三番地にあったが、明治一三年福伝寺に合併されて福伝寺と改称した。(「八王子市史」より)
福傳寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「八王子市史」