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玉鳳山長泉寺|八王子市長房町にある臨済宗南禅寺派寺院、石平道人墓

長泉寺の概要

臨済宗南禅寺派寺院の長泉寺は、玉鳳山と号します。長泉寺は、秩父刑部少輔(天文17年1548年卒、長泉寺殿久峰徳昌居士)が開基となり、玉永珍(永正元年1504年寂)が、多摩御陵の地に開山したといいます。江戸期には寺領5石5斗の御朱印状を拝領、明治維新の際には萬松山堅叔庵を合寺、昭和2年の多摩御陵造営に際しては、石平道人の墓等と共に当地へ移転したといいます。

長泉寺
長泉寺の概要
山号 玉鳳山
院号 -
寺号 長泉寺
住所 八王子市長房町1258
宗派 臨済宗南禅寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



長泉寺の縁起

長泉寺は、秩父刑部少輔(天文17年1548年卒、長泉寺殿久峰徳昌居士)が開基となり、玉永珍(永正元年1504年寂)が、多摩御陵の地に開山したといいます。江戸期には寺領5石5斗の御朱印状を拝領、明治維新の際には萬松山堅叔庵を合寺、昭和2年の多摩御陵造営に際しては、石平道人の墓等と共に当地へ移転したといいます。

「八王子市史」による長泉寺の縁起

長泉寺(下長房村―長房町一、二五八)
山号玉鳳山、当寺はもと御陵域内にあったのを当所に移したものである。五石五斗の朱印地を有し、応仁元年(一四六七)の創立、開山玉永珍(永正元年 一五〇四 八月朔日示寂)、開基秩父刑部少輔(天文一七年 一五四八 九月八日卒、法名長泉寺殿久峰徳昌居士)である。本尊は釈迦牟尼仏で、当寺は永禄一二年(一五六九)廿里山合戦にも、天正一八年(一五九〇)八王子城落城の時にも焼失している。なお、当寺へは有名な鈴木正三を開山とする堅叔庵が明治初年ごろ合併されているので、御陵治定の際には堅叔庵関係の石平道人(鈴木正三)およびその弟子恵中の木像・墓石なども一切長泉寺移転と共にここに移され、全きをえていることは幸である。(八王子市史より)

新編武蔵風土記稿による長泉寺の縁起

(下長房村)長泉寺
境内御朱印地内一萬六千二百坪程、小名中郷にあり、禅宗臨済派、同郡山田村廣園寺末、御朱印五石五斗の地を附せらる、玉鳳山と號す、開山玉永珍永正元年八月朔日寂す、開基は秩父刑部少輔某なりと云へり、是人天文十七年九月八日卒し、法名長泉寺殿久峯徳昌居士と號す、本尊釋迦、木の坐像長一尺許なるを安す、本堂は六間に四間、南向。(新編武蔵風土記稿より)


いいお墓

長泉寺所蔵の文化財

  • 石平道人墓(市指定史跡)

石平道人墓

石平道人は、江戸時代初期の禅僧で俗名を鈴木正三といい、萬松山堅叔庵の開山である。堅叔庵は明治初年に廃庵となったが、当時下長房の豪族であった井上出羽が庵を建てて正三道人と弟子恵中を招き、教化を受けたと伝えている。
正三は元徳川家の家臣で、歴戦の勇士であったが、元和六年(一六二〇)四十二才で出家し禅門に入ったが、一宗一派に属さず、「南無大強精進勇猛仏」の信仰を唱え、仁王禅を提唱した。
又、浮世草子の源流と言われる仮名草子本の代表作「二人比丘尼」、「因果物語」等多くの著作がある。
明暦元年(一六五五)六月七十七才で没した。
なお、現在の墓所は、昭和二年多摩御陵造営にともない、「庵の山」(御陵総門の手前右側の小高い丘)からこの地に改葬されたものである。(八王子市教育委員会掲示より)

長泉寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 八王子市史