永昌院|八王子市中山にある曹洞宗寺院

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飯成山永昌院|武相卯歳観音霊場四十八ヶ所

永昌院の概要

曹洞宗寺院の永昌院は、飯成山と号します。永昌院は、葛澤豊前守が開基大檀那となり、永林寺第三世岳應(天正15年1587年寂)が開山したといいます。別当を勤めている観音堂は文安4年(1447)の創建で、江戸幕府より寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。武相卯歳観音霊場四十八ヶ所40番です。

永昌院
永昌院の概要
山号 飯成山
院号 永昌院
寺号 -
住所 八王子市中山452-2
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



永昌院の縁起

永昌院は、葛澤豊前守が開基大檀那となり、永林寺第三世岳應(天正15年1587年寂)が開山したといいます。別当を勤めている観音堂は文安4年(1447)の創建で、江戸幕府より寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による永昌院の縁起

(中山村)観音堂
村の中央より北へよりてあり、別當永昌院境内にて、本堂の西の方にあり、今観音領七石の御朱印を賜へり、創建の昔を尋ぬるに、文案四年僧稟庵と云もの起立して、則別當職となれり、十一面観音は木の坐像にして臺座ともに長一尺許、定朝の作なれりと云、堂は二間半四方にて東向なり。
稲荷社。堂の西にあり、小社なり。
別當永昌院
境内、二百間に八十三間、飯成山と號す、下柚木村永林寺末寺にて、開山は則永林寺第三世岳應なり、時に葛澤豊前守と云人、檀那として、堂宇の起立成就せりとなり、その年月は傳へざれど、岳應が寂せしは、天正十五年十月十日なりといへば、推てしるべし、本堂四間半に七間南向なり、本尊釈迦木の坐像にして、臺座ともに長二尺五寸許。(新編武蔵風土記稿より)

「八王子市史」による永昌院の縁起

永昌院(中山村―中山四五二)
飯成山と号し、本尊釈迦如来、開山本寺三世岳応、開基は葛沢豊前守である。元来文安四年(一四四七)禀安起立の境内観音堂の別当寺である。(八王子市史より)


永昌院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「八王子市史」