治龍山桂福寺|八王子市戸吹町にある曹洞宗寺院
桂福寺の概要
曹洞宗寺院の桂福寺は、治龍山と号します。桂福寺は、奪山正興が寛永2年(1625)に開山、慶安年間(1648-1651)には寺領9石5斗の御朱印状を受領していました。
山号 | 治龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 桂福寺 |
住所 | 八王子市戸吹町193 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
桂福寺の縁起
桂福寺は、奪山正興が寛永2年(1625)に開山、慶安年間(1648-1651)には寺領9石5斗の御朱印状を受領していました。
新編武蔵風土記稿による桂福寺の縁起
(戸吹村)
桂福寺
村の中程より東の方山の根にあり、寺領九石五斗餘の御朱印を賜ふ、境内もその内なり、禅宗曹洞派、入間郡川越蓮光寺の末、次龍山と號す、開山昌譽年代を傳へず、本尊は釋迦木の坐像にして、長一尺ばかり、本堂は九間半に五間半、南向なり、鐘一口をのきにかく、わたり二尺一寸ばかり、元禄十年に鑄し者、
寶蔵。二間に三間、本堂の前にあり、
觀音堂。本堂の坤にあり、三間四方、正觀音を安置す、(新編武蔵風土記稿より)
「八王子市史」による桂福寺の縁起
桂福寺(戸吹村―戸吹町一九三)
川越市蓮光寺末に属す。山号は治龍山、慶安年間(一六四八~一六五一)九石五斗の朱印を附さる。寛永二年(一六二五)奪山正興の開山、堂宇は元禄一六年(一六三九?ママ)再建のままである。同寺墓地には剣道天然理心流近藤三助方昌の墓がある。同所坂本氏の男で、当時は八王子宿近藤長裕の道場にはいり、十分に腕を磨いたので、近郷ではもち論のこと立江戸に出ても無敵の剣豪であった。ついに長裕から所望されて養子となり、同流第二世を継いで江戸表で道場を開いた。かくして彼が門弟中、堺村小山の島崎周助の剣先きがすこぶる精妙であったので、これを養子として第三世を継がせた。すなわち近藤周助邦武である。そしてこの邦武の門弟中第四世を継いだのが天下に雷名を轟かせた幕末新撰組の隊長近藤勇昌宜である。勇は今の調布市上石宮川家の次男勝太であった。(「八王子市史」より)
桂福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「八王子市史」