石明神社|南北朝期の創建、堰の明神
石明神社の概要
石明神社は、日野市石田にある神社です。石明神社の創建年代等は不詳ながら、南北朝期の創建とも伝えられ、江戸時代初期には「堰(石)の明神」と称され、旧新井村の鎮守社だったといいます。
社号 | 石明神社 |
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祭神 | 猿田彦大神 |
相殿 | 大山咋大神、稲荷大明神 |
境内社 | 御嶽神社 |
住所 | 日野市石田2-11-13 |
祭日 | 例祭日9月15日 |
備考 | - |
石明神社の由緒
石明神社の創建年代等は不詳ながら、南北朝期の創建とも伝えられ、江戸時代初期には「堰(石)の明神」と称され、旧新井村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による石明神社の由緒
(新井村)石明神社
除地、三段、村の西萬願寺村の境にあり、社は五尺四方にして、覆屋二間に二間半、前に鳥居をたつ、神體は石にて長二尺六寸ばかり、大さ中の所にて一尺二寸ほど、其状上の如し、當社鎮座、および由来を詳にせず、棟札に慶長二年丁酉三月十八日御遷宮、金剛寺法印亮海この餘にも文字あれども消滅して、わづかに小助刀之衆氏子の七字読むべきのみ、今村内の鎮守なり、光徳寺持(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による石明神社の由緒
創建の年代は詳かでないが、慶長二年(一五九七)社殿改築の棟札あり、その後、寛永二年(一六七三)、元禄十二年(一六九九)、享保二年(一七一七)、それぞれ社殿改築の棟札がある。古くは堰大明神、または石明社または石大明神と称されたが近代にいたって石明神社と改称され、戦後石明神社と称する。当社は石の神にあらず、堰の明神であろう。御神体の、「新編武蔵風土記稿」に記されている石棒は、古来よりの土俗たる生殖器崇拝による荒神に対する祈願の鎮物ともいわれ、一説には、用水堀より出土したものといわれている。当社の神威はことのほかあらたかにして、五穀豊穣の神として尊崇せられ、天孫降臨にさいしては道祖神ともいわれ、道の守護神として交通安全、開運、安産等に効めがあると伝えられている。(東京都神社名鑑より)
日野市史による石明神社の由緒
創建年代不詳。古くは堰大明神または石大明神と号した。近代に至って石明神社と改称される。社誌によれば創建は南北朝期と推測される。社殿改築は、慶長二年(一五九七)・寛永二年(一六二五)・寛文十三年(一六七三)・享保二年(一七一七)等各年代の棟札に明らかである。
鎮座地は浅川の本瀬にのぞみ、洪水の度ごとに水害を蒙ってきたが、現在は堤防も強化されてその憂いはない。
昭和四十五年旧氏子の大部と、新来住の希望世帯を以て奉賛会を結成、併せて社誌が作られた。
司祭については下田の八幡大神社に同じである。(日野市史より)
石明神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 日野市史