日野宮神社|武蔵国の国司日奉宗頼の子孫が祖先を祀る
日野宮神社の概要
日野宮神社は、日野市栄町にある神社です。日野宮神社の創建年代等は不詳ながら、地名日野の由来となった日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その孫西内大夫宗忠が西党の始祖となり、その子孫が祖神を祀って日野宮権現と称したといいます。
社号 | 日野宮神社 |
---|---|
祭神 | 天御中主尊 |
相殿 | 高魂尊、日奉宗忠、日奉宗頼 |
境内社 | 御嶽・大山・榛名・稲荷・佐倉 |
住所 | 日野市栄町2-27-19 |
祭日 | 例祭日9月16日 |
備考 | - |
日野宮神社の由緒
日野宮神社の創建年代等は不詳ながら、地名日野の由来となった日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その孫西内大夫宗忠が西党の始祖となり、その子孫が祖神を祀って日野宮権現と称したといいます。
新編武蔵風土記稿による日野宮神社の由緒
(日野本郷)日之宮権現社
薬王寺領の内小名四ツ谷にあり、社は一間四方にて、二間四方の上屋あり、社地すべて樹木しげりて、最寂寥たるさま古社とみえたり、されど勧請の年歴、及祭神を詳にせず、或は云當社は日野宗頼が草創の地なり、この宗頼は當國七党の内、西大夫日野宗忠が子孫にして、その先は天御中主尊よりいで、姓は日奉なり、子孫當國に繁衍し、宗頼を追慕して日ノ宮とはいひしなり、當國の地名この社より起りしも、しるべからざることは巳に前に辨せり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による日野宮神社の由緒
創立年代は不詳であるが、武蔵七党の中の西党の祖日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その孫西内大夫宗忠が西党の始祖となって、その子孫が祖神を祀って日野宮権現と称した。『武蔵武士』『新編武蔵風土記稿』、『武蔵名所図会』、『皇国地誌』等の古書に日野宮権現の記事がある。(東京都神社名鑑より)
日野市史による日野宮神社の由緒
創建年代不詳。伝によれば、武蔵七党中の西党の祝日奉宗頼は武蔵国司となり、任終ってここに土着し、居館を構えて祖神天御中主尊・高魂尊を配った。その孫宗忠は西内太夫と称して、西党嫡流の始祖となった。その子孫は永くこの土地に住み、先祖の宗頼・宗忠を併せ祀って日野宮権現と称したと言う。日野宮は日野の地名起源説の一となっている。
江戸時代には別当日輪山薬王寺、明治二年以後は八坂神社の神職が祭儀に当たっている。(日野市史より)
日野宮神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 日野市史