高幡若宮神社|金剛寺本尊の傍らの二童子を彫刻した旅僧との別れをきっかけに創建
高幡若宮神社の概要
高幡若宮神社は、日野市高幡にある神社です。高幡若宮神社の創建年代等は不詳ながら、金剛寺本尊の傍らの二童子を彫刻した旅僧との別れをきっかけとして別旅明神社として創建したといいます。大正初期に、愛宕山(高幡山)山頂に祀られていた愛宕社を合祀したといいます。
社号 | 若宮神社 |
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祭神 | 誉田別命、迦具土命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 日野市高幡352 |
祭日 | 例祭日9月14・15日 |
備考 | - |
高幡若宮神社の由緒
高幡若宮神社の創建年代等は不詳ながら、金剛寺本尊の傍らの二童子を彫刻した旅僧との別れをきっかけとして別旅明神社として創建したといいます。大正初期に、愛宕山(高幡山)山頂に祀られていた愛宕社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による高幡若宮神社の由緒
(高幡村)若宮明神社
除地、七畝十歩、畑二畝二十歩、小名別旅にあり、小祠なり、金剛寺不動縁起に、別旅明神といへるもの即ちこの祠なりと云、古社なることしるべし、金剛寺持(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による高幡若宮神社の由緒
創建の年代は不詳だが、次のようないい伝えがある。当社の縁起は隣接する金剛寺(通称高幡不動)の本尊、不動明王の傍らの二童子を彫刻した老僧との出会いから祀ったといわれる。すなわち、住職から依頼された彫刻師(旅僧)は、三日三晩で七尺余の二童子の像を彫りあげた。そのみごとなでき栄えに住職・村人・参詣人は驚ろきいり、旅僧がいよいよ出発という時、村人たちは送別の宴を開き、村境まで送ることになった。村人は黄金色に波打つ稲田に目を奪われ、豊作を喜び語りながら行くこと数町、ほっと気付いて先方を見たが、旅僧の姿は突然消えてしまった。人びとはその不思議なできごとに驚き畏れ叫んだ。「二童子を刻んだ旅僧は神の化身である」とその地を別旅と呼んでここに一社を建て、宇佐八幡を勧請して〝別旅神社〃と称し村の鎮守として祀った。後に現在の若宮神社となった。なお、愛宕山(高幡山)の山頂に祀られていた愛宕の神を大正初期、若宮神社に遷宮合祀した。その後、本殿(慶応三年)・拝殿(明治三十五年)の損耗ひどく、社殿を再建。(東京都神社名鑑より)
日野市史による高幡若宮神社の由緒
創建年代は不詳であるが、当所高幡山金剛寺不動堂に安置の本尊脇侍二童子の彫刻にまつわる伝説に由来すると伝える。
例祭は従来、若宮神社は九月十五日に、愛宕神社(大正十三年に合祀)は七月二十四日にそれぞれ行われてきたが、合祀後は昭和二年以来九月二日に行われていた。変更の主な理由は、秋蚕飼育の都合からであった。
ほとんどの農家が養蚕をやめた第二次大戦後もこの日どりを変えなかったが、昭和五十五年以来再び九月十五日となった。
旧社殿は慶応三年(一八六七)九月再建に係るもので、木造流造瓦葺きの旧外殿内の奥殿は、昭和四十八年 鉄筋コンクリートに再建の際本殿の内奥に納められた。このとき旧外殿および旧拝殿(明治三十五年-一九〇ニー二月建築)はとり壊された。(日野市史より)
高幡若宮神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 日野市史