青龍山萬福寺|天正14年創建
萬福寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の萬福寺は、青龍山と号します。萬福寺は、心峰良益が開山となり、天正14年(1586)創建したといいます。
山号 | 青龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 萬福寺 |
住所 | 日野市万願寺3-41-7 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
萬福寺の縁起
萬福寺は、心峰良益が開山となり、天正14年(1586)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による萬福寺の縁起
(日野本郷)萬福寺
境内除地、八畝十五歩、小名萬願寺にあり、青龍山と號す、臨済宗、鎌倉建長寺末、天正十四年開山心峰良益の草創なりと云、客殿三間に四間半、本尊達磨を安置す。(新編武蔵風土記稿より)
日野市史による萬福寺の縁起
青柳山万福寺と号し、臨済宗建長寺末。天正十四年(一五八六)開山心峰長益の草創といわれる。本尊はもと達磨大師像であったが、現在は木彫薬師如来高さ約一尺余りの坐像である。本尊がいつ替わったかは不明で、明治二十二年一月の万福寺什物帳には達襲大師像の記載はない。
堂宇は本堂・庫裡合わせて四十七坪、二棟とも東向きであったが、明治初年大暴風のために倒壊した。明治二十年に七世棟岳梁のときに一宇に改め南向きに再建されたと伝えられる。昭和十五年八世忠正の代に堂宇を補修して萱葺きを亜鉛板に葺軒改め、さらに昭和三十二年には増築が行われた。
寺院の宝物は本尊のほか中鐘や金属の五具足があったが、本尊を除いて第二次大戦中供出された。(日野市史より)
萬福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿