十二神社|天神七代、地神五代の大神を奉斎
十二神社の概要
十二神社は、多摩市和田にある神社です。十二神社の創建年代等は不詳ながら、中世に三田氏によって勧請されたとも、応永ごろ(1394-1427)に金山・保田両者によって建立されたとも伝えられ、天神七代、地神五代の大神を奉斎し十二所権現社と称していたといいます。
社号 | 十二神社 |
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祭神 | 国常立大神、国狭槌大神、豊斟渟尊、沙土煮尊、大戸之道之尊、大苫辺尊、天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火出見尊、鵜鷥草葺不合尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 多摩市和田1525 |
祭日 | 9月第2日曜日 |
備考 | - |
十二神社の由緒
十二神社の創建年代等は不詳ながら、中世に三田氏によって勧請されたとも、応永ごろ(1394-1427)に金山・保田両者によって建立されたとも伝えられ、天神七代、地神五代の大神を奉斎し十二所権現社と称していたといいます。
新編武蔵風土記稿による十二神社の由緒
(上和田村)十二所権現社
除地、凡一町許、村の北なる山の麓にあり、當社あるを以てここを十二所と呼べり、入口に鳥居あり、本社は小祠にて、二間に二間半の上屋を立、相傳ふ當社は、昔三田某が勧請する所なりと、されどその年歴は傳へず、又三田氏は何人なると云ことも、失したれば考ふるによしなし、例祭九月十二日、村内高蔵院持。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による十二神社の由緒
十二神社(和田1525)
我が開拓の祖人が、ひたすら子孫の繁栄を祈り、こころのよりどころとして、当地に天神七代、地神五代の大神を奉斎し十二神社と称えた。創建は応永二十七年(一四二〇)春二月とされ境内地も約千坪で、多摩市の神社では五指に数えられる敷地を有し、本殿も総欅造りで、多摩丘陵の一画に鎮座し、地域の人たちが五穀豊穣を祈願し、また出征兵士を送り出し、すべて大神様の御神徳の御加護にあずかった。(東京都神社名鑑より)
「多摩市史」による十二神社の由緒
【十二所権現社】中和田村(『風土記稿』では上和田村)の北の山麓にあり、除地およそ一町歩。例祭は九月十二日で、同村高蔵院持ち。中世三田氏によって勧請された(『風土記稿』)とも、応永ごろ(一三九四~一四二七)金山・保田両者によって建立されたとも伝えられる。天保六年(一八三五)にほ社殿を再建、寛政・天保・安政の三度にわたり鳥居を修復している。(新編武蔵風土記稿より)
十二神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「多摩市史」