和中山高蔵院|地頭山中新右衛門某が天正年間再建、多摩八十八ヶ所霊場
高蔵院の概要
真言宗智山派寺院の高蔵院は、和中山安養寺と号します。高蔵院は、当地地頭山中新右衛門某が天正年間(1573-1592)に再建、慶秀(延宝7年1679寂)が再興したのではないかといい、慶安年間(1648-1651)には寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。多摩八十八ヶ所霊場15番です。
山号 | 和中山 |
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院号 | 高蔵院 |
寺号 | 安養寺 |
宗派 | 真言宗智山派 |
住所 | 多摩市和田728 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高蔵院の縁起
高蔵院は、当地地頭山中新右衛門某が天正年間(1573-1592)に再建、慶秀(延宝7年1679寂)が再興したのではないかといい、慶安年間(1648-1651)には寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による高蔵院の縁起
(上和田村)高蔵院
新義真言宗にて、高幡村金剛寺の末山なり、和中山安養寺と號す、語り傳へに當寺は天正の頃、此處の地頭たりし山中新右衛門某が、基を開きし地なりと、されど今開山とする所の僧、慶秀は延寶七年二月廿七日の示寂なれば、最矛盾の説にてうけかひがたし、恐くは中興開山の僧なるべし、慶安年中御朱印を附せられ、寺領五石の地を賜はりしと云、客殿九間に六間、本尊不動の坐像長七寸なるを安置す。(新編武蔵風土記稿より)
「多摩市史」による高蔵院の縁起
【高蔵院】山号は和中山、寺号は安養寺。上和田村にあり、朱印地五石。本尊は不動明王。中興開山慶秀は延宝七年(一六七九)に寂す。中和田村の十二所権現社は当院持ち。大塚村との境にある天満宮の再建や屋根葺き替えの際には遷宮師を務めていた。嘉永七年(一八五四)住職宥山坊快盛は香衣一色着用を免許されている。(「多摩市史」より)
高蔵院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「多摩市史」